1189、私はいろいろな呼び方で、関係を確認してきたように思う

私が神さまのことを「あなた」というようになったのはいつ頃だったか、確かに「あなた」と言った時に、神が近づいたような気がした。でも韓国から来られた牧師が日本語の「あなた」に疑問を持たれていることを聞いてから、「あなた」について使いにくくなった。そこで、私は公の場で「あなたさま」というふうに言い始めた。現在、私は、どうも、自分の感覚で無意識のなかで、「あなた」と「あなたさま」を使い分けているようだ。なぜなら「あなたさま」はおかしいとどこかで思っているし、「あなた」も失礼だと思っているし、ワーシップソングで「あなた」と歌っている時に、少し声が小さくなってしまつていることに気づく。英語の世界ではすべてyouなのだが、日本語の世界ではいろいろな使い方がある。実際、私は神以外に「あなた」を使うことはまずない。「あなた」と使うと相手との距離を作ってしまうからだ。「あなた」という二人称は通常は、人を近づける呼び方だとは思うが、反対に距離を作ってしまう呼び方のように確信しているところがある。もしかすると、私たちは呼び方で相手との関係を確かめてきたのだ。もしかすると日本人はそのような傾向が強かったのかもしれない。だから、神さまに対しても呼び方で関係を確かめることは許されていると思う。人間関係でも呼び方で関係を確かめることは許されていると思う。また呼び方を変えることで豊かな関係作りができる、創造的な関係作りができるのではないか、ということもあるのではないかと思う。「主よ」と叫んだあと、「あなたは」「あなたさまは」と感触を確かめながら祈っている自分がいる。また、日常生活では、「あなた」を使わない、普通の日本人なのに、祈りで「あなた」をどのように言おうか、苦慮している自分がいる。