1215、自分の耳が違ってきた、自分の目が違ってきた、自分の舌が違ってきたとしたら

私も60歳になった。今からこの認識に立っておこう。音には自信があった。でも自分の耳が違ってきているかもしれない。目には自信があった。でも自分の目が違ってきているかもしれない。舌には自信があった。でも自分の舌が違ってきているかもしれない。鼻には自信があった。でも自分の鼻が違ってきているかもしれない。あらゆるものを認識して批評する自分が違ってきているかもしれない。そう思える自分になった上で、他者の言葉に耳を傾けること、他者のお叱りを受けること、他者と対話すること、それも信頼できる相手と健康的に対話すること、これができるならば、私は生きていけると思う。つまり信頼できる人たちのなかで認識の調整ができる安全地帯を生涯、大切にしていくことだと思う。それから、私は信仰者だから、神以外のものを少しずつ相対化し、神の声だけが聞こえてくるような世界を探し求める。