1267、12ステップのハイヤーパワーを「永遠の汝」にしてみた

「依存症(変な生き方)からの解放十二ステップ」 (ビットナー氏のものに少し解釈を加えた内容) ステップ一 私は自分が本当に無力であることを認めます(無力) ステップ二 永遠の汝だけが私を強くすることを信じます(信頼) ステップ三 私は私の意志と人…

1266、ウクライナ戦争で私が気づかされたこと

ウクライナ戦争で私が気づかされたこと。アメリカのCIAはロシアの侵略を知っていた、という内容をNHKが報じていた。すごい、と思った。しかし、ということは、ロシアの侵略は何らかの形で、アメリカのコントロール下にあったのだ。知っていただけではコント…

1265、自分もアルゴリズムの虜になっているなあ

パソコンを開きつつ、自分もアルゴリズムの虜になっているなあと思った。AIのアルゴリズムに完全に支配される時代はすぐそこだ。その時、何が起こるのか。人格を信じない時代が来る。人格を分析できると信ずる時代が来る。共同体間の人格関係も分析できると…

1264、身体性というか・・・理屈じゃない生き方のために

1、邪魔くさがらない (聖書全体からの声) 2、ついでにやろう (うちの伝道師からの声) 3 、元の場所に戻そう (妻の父からの声) 4、自然体よ (賛美の恩師からの声) 5、名前を呼ぼう (ユダヤ哲学からの声) 6、筆ペンで書こう (うちの伝道師からの声…

1263、キリスト教は人格関係的宗教である

仏教はどちらかというと来世的宗教であり、神道はどちらかというと現世的宗教である。だったらキリスト教は何なのか、キリスト教は来世も現世も取り扱うが、来世現世を超えた人格関係的宗教というべきだろう。であるから、来世だけに目を向けるのではなく、…

1262、もし「我とそれ」だけなら、AIに支配されてしまうだろう

ひとりごと(独話)世界・・・ひとりごとじゃない(対話)世界「我とそれ」・・・・・・・・「我と汝(なんじ)」対物関係から始まる世界・・・対神関係から始まる世界独話的神秘の世界・・・・・・対話的神秘の世界独話的知の世界・・・・・・・対話的知の…

1261、「我とそれ」「我と汝」を別の言葉にしてみた

ひとりごと(独話)世界・・・ひとりごとじゃない(対話)世界「我とそれ」・・・・・・・・「我と汝(なんじ)」対物関係から始まる世界・・・対神関係から始まる世界独話的神秘の世界・・・・・・対話的神秘の世界独話的知の世界・・・・・・・対話的知の…

1260、定年を前に、自分の弱さを憂いつつも、次のことを肝に銘じて生きていきたい

名前を呼び合って輝こう!!(輝く人生) 自発(応答)で生きよう!!(聴く人生) 邪魔くさがらずにやろう!!(動く人生) ついでを理由に楽しもう!!(遊ぶ人生) 記憶のために記録しよう!!(旅の人生) みな芸人、バレたらいい!!(芸の人生) 12ステップは、続…

1259、ローゼンツヴァイクのこの言葉は、公同礼拝での賛美と祈りの根拠となる。

名前の哲学144頁「われわれは自分たちがこの神の名を一緒に呼ぶことによってはじめてわれわれになる」(ローゼンツヴァイク2011.107頁)この言葉を読みながら、10人のツァラアトが、イエスさまに向かって、離れたところから「イエス様、先生、私たちをあわれ…

1258、名前があるのは、神に祈るために、神に呼ばれるために、呼称として名前があるのだ。

神が私の名前を呼んでくれる、というのは違和感がある。なぜなら私の名前は親がつけた名前だからである。神がつけた名前ではない。同じように、私が神の名前を呼ぶというのは違和感がある。だから人間がつけたいろいろな名前で呼ばせてもらう。いろいろな名…

1257、私たち人間は名づけるものか(アダムが動物たちを名づけ、エバを名づけた様子をイメージしつつ)

名前の哲学185頁「人間は名づけるものであり、この点にわれわれは人間のうちから純粋言語が語り出していることを認識する」(ベンヤミン1995.16頁)

1256、「神の人格性」を異端は否定し、正統派は当たり前だから、と言葉にしなかった。

「神の人格性ということは、キリスト教の主要な教義であるということは、今日ではしばしばごく当たり前のことのように思われているために、われわれはこの表現を歴史的信条やキリスト教会の告白に全く見出すことがないのみならず、つい最近に至るまで三位一…

1255、最近、村岡晋一氏の「名前の哲学」(講談社選書メチエ)に共鳴している

「小学校に通いはじめたころ、犬が飼いたくてしかたがなかった。あまりしつこくせがむものだから、父が雑種の子犬をもらってきてくれた。毛が茶色と白のぶちだったので「チロ」と名づけた。「チロ」が庭をよちよち歩きまわったり、ひざうえで眠りこける様子…

1254、大木英夫氏が1972年に書かれた「現代人のユダヤ人化」読んでみたい

大木氏は言う「ユダヤ人化する現代人はこの書にえもいわれぬ深い共感を覚えるであろう。共鳴して全身が鳴り出すのを感じさえするであろう。」確かにブーバーもクローナーもローゼンツバイクもポラニーもルヴィナスもユダヤ人思想家であった。それからフッサ…

1253、「我と汝」なき「我とそれ」の周辺化は無意味であり、「我とそれ」なき「我と汝」の中心化も無意味である

「神学なき体験は盲目であり体験なき神学は空虚である」という渡辺善太先生の言葉から、こんなふうにしてみました。

1252、「我とそれ」なき「我と汝」は盲目であり、「我と汝」なき「我とそれ」は空虚である  

「神学なき体験は盲目であり、体験なき神学は空虚である」という渡辺善太先生の言葉から、こんなふうにしてみました。

1251、神学なき体験は盲目であり、体験なき神学は空虚である(渡辺善太)

「神学なき体験は盲目であり、体験なき神学は空虚である(渡辺善太)根源的体験とは根源的関係であり、根源的関係とはキリストを通しての祈りであり、永遠の汝との「我と汝」である。アーメン」(武田信嗣)

1250、先日から初めた50年引いて記憶を呼び覚ます生き方

先日から始めました。記憶が消えていくなかで、記憶の呼び覚まし方として、62歳になった私は、50年引いて、その時代の記憶を呼び起こすということをするようになりました。これはいい、と思いました。62歳ですから12歳の頃の記憶を思いおこそうとしています…

1249、同じくらいの距離を持って生きようとする自分・・・

メノナイトの世界に入ると自分はメノナイトでないと思ってしまう(自分はメノナイトでなく、メノナイト・ブレザレン)。穏健カルヴァンの世界に入ると自分は穏健カルヴァンでもない。ある点ではもっと穏健でありたいと願うから。聖潔派の世界に入ると、やっ…

1248、やっぱり「記憶」がキーワード

歴史を大切にしないと未来に何かを残そうと思わなくなる。年齢を経ても力を得て本でも書いてみようと思わなくなる。どうせ過去の記録など誰も読まないだろうと思ってしまう。でも、記憶を呼び覚ます何かを残さないという気持ちを持ち続けないといけないので…

1247、認知症になった認知症研究第一人者、長谷川和夫先生

長谷川式スケールの長谷川和夫先生が認知症になられたことを映像で見た。彼は銀座教会の会員なので、渡辺善太先生時代からの信徒だったのだろうか。長谷川氏は自分が認知症になって、確かさを失う経験をされたという。まず時の確かさを失い、次に場所の確か…

1246、自分の記憶を呼び覚ますために森有正エッセー集成5を読む

私は62歳だ。50年前は12歳だった。50年前中学2年生の時に洗礼を受けた。50年前ってどんな空気だったのか、少しずつ思い出そう。劣等感の塊だった、あの頃の自分を見つめなおそう。森有正エッセー集成5は、ちょうど50年前の森有正の日記だ。高校生の時、森有…

1245、新型コロナ感染拡大真っ最中でも、たんたんと、今日も掃除してくださっている、感謝!!

耐えながら、たんたんと、というイメージは教会のイメージとして御心にかなっていると思う。そう言えば、今週老人ホームに入られた大先輩は気づくと、いつものように、たんたんと、教会の掃除をし続けてくださっていた。当番でなくても・・・牧師室からいつ…

1244、この災難があったから、別の災難から免れたということが後でわかる、ということもある

神さまの御思いを私たちはわかっていない、ということだ。謙虚にひざまずこう!

1243、ヨブ記と出エジプト記を想起すると災難の最初という視野も必要なんだろう

西満先生に教えてもらった9の災害と最後の過越の祭りのあの図を思い起こした。疫病は五番目だった。あの中に動物の大量発生が4つもある。疫病も動物ならば5つだ。

1242、そう言えば、ノアの箱船、ユニバーサル説、ローカル説、と福音派でも議論したなあ

少なからず、今新型コロナ感染拡大で、ユニバーサル感覚とはこうゆうものだという実感がしてきた。聖書の世界観が近づいてきたような気がする。

1241、危機になるとその人の信仰と神学が見えてくる。見えてきていいんだ!

1240、もしかすると、みんな独話と独話で対話の演技をしているのではないかとふと思った

1239、シンブルストーリー(一面的な物語)には確かに危険性があるだろうなあ

1238、ヨブは人の自由だけでなく、被造物全体の自由を語ろうとする。ああ、手に負えないレビヤタン