安堵と孤立の原理

 私は2001年、4月に按手礼を受けました。それで按手礼を受ける前に按手礼論文を書きました。それが、「二・三人の神学」という論文でした。「二・三人の神学」は、「個」だけに拘らず、「全体」だけにに拘らず、通常意識されぬ「二・三人」の関係に拘る神学です。

 その論文の4部の4に「安堵と孤立の原理」と勝手に名付けたものがあります。この「安堵と孤立の原理」とは、三者の中の二者関係が三つあるなかで、必ず三者共に一つの認知できない二者関係があることに注目する時に、この原理が体験的に見えてくる、というものです。つまり「AはBとCの二者関係を知らない」「BはCとAの二者関係を知らない」「CはAとBの二者関係を知らない」ということです。この知らない関係が一つずつ存在するのが三者の関係です。この知らない部分に対してどうあるかで三者関係は大きく左右されるのです。この知らない関係に信頼を置く場合、人は深い「安堵」に達しますが、この知らない関係に不信を抱く場合は、かなり深刻な「孤立」に至るということです。

 AはBC間を知っているじゃないと言われるかもしれません。しかしAはBC間を客観的にマルティン・ブーバーの言う「我とそれ」的に知っているだけであって、「我と汝」ではない、のです。BはAC間を知っているじゃないと言われるかもしません。しかし、BはAC間を客観的に「我とそれ」的に知っているだけであって、「我と汝」ではない、のです。CはAB間を知っているじゃないと言われるかもしれません。しかし、CはAB間を客観的に「我とそれ」的に知っているだけであって、「我と汝」ではないのです。なぜあなたが不安なのか、なぜあなたに孤立感があるのか、三者関係から、読み解いて見るのも面白いかもしれません。