1108、いつも問い続けないといけない質問。本当にあなたひとりなの?

何時ぞやのよきおとずれの原稿をアップ
聖書箇所は、第一列王記十九章一〜十八節

 ここには弱くなったエリヤが描かれています。弱くなったエリヤは、大勝利者だったのに、国家権力よる殺害計画の報を聞いた途端、力を失い、えにしだの木陰でふて寝をしたのです。ふて寝は、自分ひとりだけが勇敢に戦って勝利したのに、何の見返りもないばかりか、生命までつけ狙われ、怯えていることへの情けなさからのものでしょう。神さまはそんなエリヤのご機嫌取りをなさるのですが、そうするとエリヤは異常と思えるほどの元気を回復し、四十日四十夜、歩き続けたというのです。私も自分の歩みを振り返ると、「ふて寝→ご機嫌取り→頑張り→」の繰り返しで信仰生活をやってきたように思うのです。しかし、うれしいことは、エリヤと神との噛み合わぬ対話(祈り)が続いた後、エリヤは力を回復していったという事実です。さてこの箇所から、何が教えられるでしょうか。まず教えられることは、エリヤはひとりで勝利し、ひとりでふて寝し、ひとりで眼前の調理パンを食べ、ひとりで四十日四十夜歩き続けたのです。ですから、エリヤはひとり旅の先輩でしょう。彼はふて寝と頑張りのなかで、神の御臨在を知り、神との対話を学び続けたひとり旅の先輩でした。しかし、創造主が創造の初めに「人がひとりでいるのは良くない」(創世記二章十八節)と言われて、すばらしいパートナーを与えてくださったことも忘れてはなりません。神さまは、今日もふたり三人の人格関係的関係者がどうしても必要だと思われています。そして本日の最後の箇所、第一列王記十九章十八節では、神さまは、ひとりでも二、三人でもない、七千人が残されている事実をエリヤに明らかにされたのです。突然、七千という数字が示されたインパクトはどれほどのものだったでしょうか。七千という数字は、イスラエルの状況を知り尽くしたエリヤが読めなかった数字でした。今、私の眼前に、日本福音同盟がまとめた日本のキリスト教会全体の教勢の数字があります。私は、この数字を見ながら、相変わらず将来の何も読めていない自分に気づくのです。でもエリヤもその程度だったと思うと、私たちにも、「もうそろそろ七千人って言ってもいいかい」という、そんな神さまのお気持ちがあるに違いないと期待してしまうのです。第二次世界大戦下、コーリーテンブームが強制収容所内で「あなたも信者?」と他の信者に自分のことを見つけてもらえた時のあの喜び、それを機に信者の輪が収容所内に広がった時のわくわくどきどきを期待したい。あの文化、あの宗教、あの職業、あの地域、あのタイプの人たちが実はキリストを信じるに近いところにいたのだと後になってわかる、そんなときめき。主イエスとは無関係だと思い込んでいたあの方が実は現代のパウロであったことがわかる、そんなときめきを是非とも頂きたい。そしてそんな信仰を頂いて、今離れている人たちに「おかえりなさい」と迎える母教会であり続けたいものです。