1203、あの言葉を使ってみただけで新しい世界が広がった20歳前後の頃

 20歳前後の頃、「客観」と「主観」という言葉を使えるようになった時に、少し賢くなったような気がした。遅まきながら「我と其」(ブーバー)の世界が広がる第一段階だったように思う。まさか、今になって、「客観」と「主観」という言葉、使用前に戻りたいと思うようになるなんて思ってみなかった。残念ながら一度覚えたら戻れない。二元化したものを一元に戻すことは不可能だ。あれから「実存」と「歴史」とか、「存在」と「関係」とか、いろいろ区別する言葉を覚えていった。でももう戻らない。戻りたいけど戻れない。

 

 これも20歳前後の頃、神さまに対して「あなた」と初めて呼んでみた時に、「我と汝」(ブーバー)の世界が広がったように思う。しかし「あなた」と呼んでも良いのだろうか、と思って躊躇した頃、確かに「我と汝」の世界が広がった。また「あなた」と呼んでもいいのか、「あなたさま」と呼んでみようか、と揺れ始めた頃も「我と汝」の世界が広がった。それから、神さまをどのように呼ぶか、ダビデのように理解した上で「岩」だとか、「羊飼い」だとか、自分は呼んでいるのか、躊躇し続ける私だが、でも「我と汝」の世界が少しは広がったように思う。