1230、クリスマスは私たちの神像を打ち消すためにあるのではないか

クリスマスは私たちの神像を打ち消すためにあるのではないか。当時、誰一人として完璧な神像でキリストを迎えた人はいなかった。マリヤもシメオンもアンナもみんな、自分たちの神像を打ち消されざるを得ない経験をした上でキリストに出会ったはずである。21世紀の私たちの時代も同じである。お金による支配構造を神とする人たちがいる。軍事力による平和実現という神像を描く人たちがいる。自分を神として描き自分の世界を広げる以外のことは考えていない危ない人たちもいる。自分も神の一部だと汎神論の世界に吸い込まれている人たちもいる。無神論というものの実は無神論という神を拝む信仰者たちもいる。突き詰めて考えていくと、やはり人間は自分の考えのなかで神を所有したいのである。自分の描く神を所有することで安堵に至ると信じているようである。非人格的な神像を所有すると、反対にそれに縛られていくのが偶像崇拝というものであり、依存症現象なのである。しかし、そのような人間の神像が空しく消え去っていくしるしが、クリスマスの飼い葉桶のイエスさまである。アーメン・・・