武武牧師の奥の部屋
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武武牧師の奥の部屋
2016-01-01から1年間の記事一覧
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535、「御子なるイエスをば兄上と呼ばん♫」最近違和感が消えた
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534、一元論に真理があると思うが、一元化プロセスに危険が潜む
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533、「我と汝」の二者関係が中心。でももう一者を無視できない
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532、復活は十字架を勝利の観点から解釈させてくれる(M)
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531、私たちは十字架の暗さを復活の香気の中で見てもいい(M)
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530、パウロの神との対話の最初がダマスコ途上。神学化はその後
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529、沈黙というキャンバスに描いた言葉だけが魂に届いていく
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528、言葉に沈黙の背景なければ、言葉は深さを失う(ピカート)
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527、「黙って! ! あなたの言葉が聞こえるように」(ピカート)
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526、何もかもに「あれかこれか」と問いかけるわけにはいかない
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525、「原罪は聖書の言葉でない」(顕在神学に慎重な再洗礼派)
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524、「イエスさまの言うとおり」というふうに生きる(有田師)
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523、メノーの恩寵観はルターの義認論からでなく「創造愛」から
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522、創造愛とは信者に実体的変化を形作る神の行為としての恩寵
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521、創造愛に生きると理想主義、完全主義、律法主義が誘惑する
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520、再洗礼派の内在的神学と他派の顕在的神学(フリードマン)
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519、再洗礼派は「義認」という言葉を使用しなかったようである
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518、再洗礼派は「甘いキリスト」でなく「苦いキリスト」を選ぶ
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517、キリストのために苦しむ、その向こうに復活があると信ずる
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516、キリストのように苦しむ、その向こうに復活があると信ずる
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515、キリストとともに苦しむ、その向こうに復活があると信ずる
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514、「剣をさやに納めよ。」確かにイエス様は武器使用を否定
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513、祈りは神学的でなくて良い、詩篇も神学的に読まなくて良い
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512、神学で育った言葉と祈りで育った言葉が一つにならないなあ
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511、私の場合はイエスでなくイエスさま。お祈りで育ったことば
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510、それでもインマヌエル、ここでもインマヌエル、敬虔の鍛錬
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509、苦難の道を歩まれたのは主イエス。復活させたのは父なる神
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508、母なる大地。父なる創造主。これでわかってもらえないか
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507、どの宗教にも達人の宗教と大衆の宗教があるから見極めねば
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506、i-dentityからwe-dentity(造語)。でもwe-dentityは多様
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