2018-08-01から1ヶ月間の記事一覧
古屋安雄氏の「なぜ日本にキリスト教は広まらないか」に、churchを公会でなく教会と訳した理由、卒業生が多い理由、などが述べられていた。明治初期、下級武士出身の知的階層がクリスチャンの指導者となり、「学校」のイメージで教会を捉えたからだそうだ。…
「本当の休みとは関係的なもの、負い目が取り去られること」だと自分で信じたら、そのように生きるべきだと思う。でも負い目が取り去られていない現実に直面する私たちは、今なお、休みの奥義を追求するものとして生きることになる。人との関係においては、…
「究極的実在を人格神と捉える考え方と、非人格的な存在と捉える考え方は、どの宗教伝統にもある。だが、エルサレムを中心とする諸伝統は前者を重んじ、ベナレスを中心とする諸伝統は後者を重んずる、という一般化は許されるように思う。神は、人格的で、言…