2017-03-01から1ヶ月間の記事一覧

736、みんな、復活があっては困る、波立つのは嫌だと思っているんだな

735、みんな、別に贖罪なんて、どうだっていいことだと思っているんだな

734、みんな、無理して復活せんでもいいやないかと思っているんだな

723、みんな、十字架とか復活とか聞くと、ややこしいと思っているんだな

722、195の世俗とは国家物語による福音物語の置き換え。改めてAmen

721、デボーションなかでbreakthroughの(心突き刺す)時が必ず来る

720、和魂洋才? 私は基魂和才・基魂洋才・基魂漢才で行く。基は基督

719、日本人は和魂洋才で来た。しかし今、洋魂は西洋に行ってもない

718、教師は生徒に向けて話好きであるべき・・子供の頃の記憶を辿ると

717、神が沈黙の神でなく、話好きの神だと知っただけで世界は変わった

716、イエス様の牧会は12人、ペテロの牧会は突然三千人五千人だった

715、パウロの即興性。幾つかの物語が即興的に生み出され奇跡をなす

714、私が選んだ、いやわたしが選んだという対話の深み(ヨハ15:16)

713、世の支配文化から救い出された人たちによる新しい文化が教会だ

712、基督教は宗教? いや宗教じゃない? 微量なさじ加減での宣教だな

711、右にリタジーあり、左にノンリタジーあり、どうやって融合しようか

710、カルヴァンは構造主義、再洗礼派は寛容主義、どう融合できる?

709、一つ一つの異なる聖句の奥と奥が実はみんな繋がっているのだ

708、信仰と不信仰の狭間のペテロに「しっかりせよ」と言われるイエス様

707、聴衆は複数の物語を想像。説教者の複数の物語と繋がる不思議

706、「我と汝」の関係で、我批評も汝批評も限度を超えてできないはず

705、正しい批評であっても、相対化できず、最終的に判決を下すのだ

704、批評学の起源は「善悪を知る木の実」を食べたことにあると思う。 

703、批評学は、批評する我々人間は一体誰なのか、に行き着くと思う

702、牧師は自己批評を怠ってはならないが、問題はその物差しである

701、何が何でも「人格関係ありき」である。その上で対話的に批評する

700、私は20代、「罪意識の構造」(トゥルニエ)で自己批評し、苦しんだ

699、「人格」「人格関係」に関する批評学は必ずどこかで座礁すると思う

698、「我と汝」「我とそれ」の区別を認識した後の批評学なら安心ですが

697、批評(批判)とは何?、一度は考え抜かないとなあ、牧師として・・