2019-10-01から1ヶ月間の記事一覧

1213、まず論理、次に聖霊の余地、次に対話の余地・・・この順番かな?

論理→聖霊→対話→論理→聖霊→対話→論理→聖霊→対話→ 合理→不合理→人格関係→合理→不合理→人格関係→ 存在論→別の存在論→関係論→存在論→別の存在論→関係論→ 神の御言葉→神の息→神の形→神の御言葉→神の息→神の形→

1212、災害多き日本だから、宿命論、運命論の説得力が強いんだろうなあ

今まで、通し番号で書いてきましたが、「運命論」で検索したら、通し番号1が「運命論・宿命論は冷たくて寂しいよね、と言って宣教しよう!」2016-10-12、でした。実際、1990年代に日記に書いていたものをパソコンにあげたのが2016年10月12日、でした。今日も…

1211、社会に近づくベクトルと個人に近づくベクトルの両方に引っ張られている自分

社会に近づくベクトルだけに従うと、自分は意図しなくても、右の立場とか左の立場とか画一的な政治的な考え方に翻弄されてしまうことになる。反対に、個人に近づくベクトルだけに従うと、自分の信仰を押し殺すような、二元化が生じてしまう。まずはこの間で…

1210、「私は神を信じる」と独り言を言う人たちよ

「私は神を信じる」だけでは神を信じたことにならない。「私は神を信じる」のならば、「私はあなたを信じます」と神さまに祈ることだ。なぜなら救い主イエスさまは弟子たちに「私の名前で祈ってごらん」と言ってくださったからだ。ですから、イエスさまの名…

1209、「独話」の果てに汎神論的宗教あり、「対話」の果てに人格関係的基督教あり

30年ほど前のことである。一人の求道者が初めてお祈りにチャレンジしたのだが、途中で「独り言を言っているみたい」笑ってしまわれた。独り言でない世界がすぐ近くに近づいてきているのに・・・・

1208、少し近づいたり、少し遠ざかったり・・でも教会から離れないで!!

距離の持ち方が一定じゃないのは当然。関係に動きがあるのは当然。教会は人格関係で生きているのですから。近づくことの冒険を忘れてはならない。冒険で疲れてしまっても決して離れてはならない。それが教会・・。キリストに近づくこと、キリスト者に近づく…

1207、宗教は、いつしか中心が消滅し、真空管のようになっていくのだ

宗教は、いつしか中心が消滅し、真空管のようになっていくので、表面・表象に力を入れるようになる。儀式化もそうである(儀式が問題なのでない、中心を失った儀式が問題)。今大切なことは、自分は中心からどれぐらい離れているかの自覚ではないだろうか。…

1206、宗教は我汝の二元性に、哲学は主観客観の二元性に基礎を置く(ブーバー)

本物と偽物を分ける意味で、「キリスト教は宗教(religion)でなく関係(relationship)なんです。」「キリスト教はキリストなんです。」「キリスト教はキリストとの人格関係なんです。」と福音派は言い続けてきた。私も言い続けている。しかし、キリストを…

1205、メノナイトはアンチ神学だとあなた前から言ってたよと友人に指摘された

私は今もカルビニズムという土俵を思い浮かべつつ、そのカルビニズムのアンチとして生きている。きっと私が穏健カルビニズムの超教派の神学校に行ったからだろう。カルビニズムのアンチとして生きているということは、カルビニズムの論理的な確かさの影響を…

1204、個人から社会に、社会から個人に、両方の生き方の両立は無理だろう

私の場合は、「個人から社会に」の生き方しかできない。 「個人から社会に」の道は、途方もなく困難な道である。 もちろん、個人と社会の間には共同体があるのであるが、 でも重大な問題は共同体といっても色々あるということ。 小さい共同体と大きい共同体…

1203、あの言葉を使ってみただけで新しい世界が広がった20歳前後の頃

20歳前後の頃、「客観」と「主観」という言葉を使えるようになった時に、少し賢くなったような気がした。遅まきながら「我と其」(ブーバー)の世界が広がる第一段階だったように思う。まさか、今になって、「客観」と「主観」という言葉、使用前に戻りたい…

1202、キリスト教はまず個があって、個と個の間の関係が来るという発想??

日本人は、個と個があって、あとに関係性があるという発想に生きていなかったことを木村敏氏は力説しているが、そうかもしれない。しかし彼の発想は、キリスト教と西洋を一括りにして文化比較ですべてを考えている。個よりも関係性から考える発想はキリスト…

1201、TCC時代、二つの神学で悩む私に有田師は神学は一つでいいと言われた

TCC時代、二つの神学で悩む私に有田師は神学は一つでいいと言われた。また福音派内の二つの両極の神学の本を紹介されて、「私たちの神学は真中なんです」とも言われた。今も「私たちの神学は真中なんです」で生きていると思っている。あの頃よりは、両極を示…

1200、礼拝でまず人格神体験をし、聖書に理由を求め、信じるという順番

礼拝でまず人格神体験をし、聖書に理由を求め、信じるという順番だと思う。もしそうならば、教会の礼拝が救いのために中心的な出来事となる。「この感じはいったい、何なんですか。」そこで聖書から説明した結果、イエスさまを救い主として信じるという順番…

1199、確かに「人格神」は「人格」を超えたお方なんですが・・・

確かに「人格神」は、我々の「人格」を超えたお方です。しかし、クリスチャン以外の人たちが「人格」を超えたお方を想像する場合、おそらく非人格的ものを想像するしかないのではないでしょうか。きっと非人格的なものだからこそ崇高であると考えるのではな…

1198、629の脳内出血後の有田師が20分かけて語られた説教(ルカ5:6)を再想起してみた

629、脳内出血後の有田師が20分かけて語られた説教(ルカ5:6) 先生は下記の説教なさるのに20分かけられた。一行に1分以上かけられたのだ。また行と行の間にかなり長い「間」があった。ユダヤ人哲学者ピカートの「沈黙の時」を想起する。沈黙をキャンバスに…

1197、日本人は人格神がわかると人格関係がわかり、人格関係がわかると人格がわかる

人格神がわからないのに人格などわかるはずがないのです。人格神がわかるということは、人格神と「我と汝」の関係(ブーバーが使用する根源語)でわかるという意味です。人格神を「我とそれ」の関係(ブーバーが使用する根源語)でわかってもわかったことに…

1196、色を混ぜてしまうと元に戻らない

色を混ぜてしまうと元に戻らない。でも何色と何色を混ぜたらこうなったか、混ざる前の色は知っておこう。神学でも何でもすでに混ぜた後の穏健な立場があり、混ぜたものと混ぜたものが合わされるともっと訳がわからなくなる。極端なしっかりとした混ぜる前の…

1195、まずは想像力を飛翔させ、後に論理でまとめていく説教

月曜日は想像力を飛翔させ、火曜日にはもっと飛翔させ、土曜日までに論理でまとめていく説教準備を想定してみた。一週間で想像力を飛翔させ過ぎて、土曜日に論理的にまとめきれなくなった状態で説教に臨んでしまう場合があった。また反対に月曜日から論理で…