武武牧師の奥の部屋
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武武牧師の奥の部屋
2017-05-01から1ヶ月間の記事一覧
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818、教会は公同が自主を尊び、自主が公同を尊ぶなかで祝される
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817、「人格論」は、キリスト教(三位一体の位格論)抜きには語れない
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816、福音を福音として語らないと、置き換えられた福音が相手の手に
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815、教会が国家に近づくと最悪。基督教は迫害下でも消滅しないのに
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814、「甘えの構造」と「恵みの構造」は似ているが出所が異なっている
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813、246の「甘えの構造」と「恵みの構造」の戦いの視点は文化を抉る
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812、確かに踏み絵文化が日本人の美意識に含まれているのが希望かも
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811、日本人の心に深く刻み込まれた傷を抉りだした遠藤周作の「沈黙」
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810、三位一体だから対話の主だという発想自体がオントロギア的発想?
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809、神が一ならば対話できないという発想自体がオントロギア的発想?
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808、信仰とは人格関係的概念です。つまり誰を信頼するか、なのです
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807、三位一体の似姿は一人の中にある? 二三人の関係性の中にある?
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806、人格関係という用語は二三人以上の人数で使用すべきではない
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805、784のごとく日本に人格の確立がない、別の言葉で言い表せない
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804、非人格的組織体(多数)は少数の人格関係を支援するためにある
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803、人格的神と人格的交わりを持つ人間の人格は不滅である(大木師)
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802、自分は中学英語のI amで躓いた。「である」が今もしっくりこない
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801、=の論理も≠の論理も存在論の論理。じゃあ対話はどうなんだろう
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800、ギリシャ的存在論とヘブル的関係論は相互排除的なものではない
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799、オントロギアとハヤトロギアは相互排除的なものではない(有賀氏)
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798、なぜ日本のキリスト教は1%なのか。ローマ書にある、妬み、だと思う
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797、人格関係の主は、最初に主の側から語りかけてくださる主導権の主
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796、イエス様は父に祈られた。独り言ではない。確かに人格関係の主だ
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795、神はモーセに語られた。独り言ではない。確かに人格関係の主だ
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794、もし対話を信じるなら、神は「一」ではない。三位一体なるお方だ
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793、国家という非人格的なものを人格のように扱っても良いだろうか
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792、福音の入口は単純。しかし奥は深い。理由は人格関係的だから
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791、「霊」から始めて物事を考える?「対話」から始めて物事を考える?
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790、論理の根本に「≠」がある。なぜなら神が「≠」的に創造されたから
2017
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789、違いを叫び続けていても、こんなに安堵できるのは不思議なことだ!
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