2018-03-01から1ヶ月間の記事一覧

1065、人格があって人格関係がある? 人格関係があって人格がある?

1064、「理性で知る」のでなく「体験で知る」。いや「人格関係的に知る」

1063、主の受難が我らの救い。深さを探ろうとしないキリスト教なんて

1062、日本人にとって縁で繋がるというのは、想像以上に大きなことだ

1061、やはり人は神を感じた理由を言葉に求めて、導かれるのかな?

1060、今日「創造ショック」を与えようとしないキリスト教という話を聞いた

1059、宣教課題は故郷を作れるかだ、ここからさらに優れた故郷に導く

1058、万が一の時でもここは相対化できないというCenterが必要である

1057、万が一の時、ここは相対化できるという手を持っている必要がある

1056、受肉と贖罪と復活を、三つとも全部、実感する旅人でありたい

1055、自分のなかに、神の「予知論」と「後追い論」の二つがあるようだ

さすがに自分はカルビ二ストではないので、「予定論」ではない。昔のヘンリー・シーセンの組織神学で学んだ「予知論」ぐらいが信じれるところかなと思う。私にとっての「予定論」は、日本では「運命論」「宿命論」の影響下にある面があるので、それと似てく…

1054、教会は公同と自主だ。公同を追求しつつ自主の情熱を尊ぶんだ

1053、「故郷」と「神学」でなく、「故郷神学」ができないかなあ。日本で

私たち日本人は日本を故郷とする。一方、神学という用語は西洋から、基督教から生じた学問であるので、この故郷と神学の二つはあまり関係のないもののように取り扱われてきたように思う。しかしクリスチャンになると、よくわかるのだが、故郷は日本に、神学…

1052、基督教は、西洋と基督教を一括りにし自慢ばかりしてきた、ああー

1051、ヤンシーは日本宣教は米国的でないものにしてはどうかと言うが

伝統的な曲もコンテンポラリーな曲も、米国の影響下にある曲だ。特に私たちのような自由教会は、そのような米国の変化をそのまま受けてきた。私たちは米国の祝福を評価し、同時に米国的なものから脱却せねばならない、と思うだが・・。ただ日本的なもの、っ…

1050、イエスさまは33年の生涯、倍に近づく私はもっと謙虚にならないと

1049、帰納法的アプローチに支配を感じたり、反対に無責任を感じたり

1048、所有でも放任でもなく管理。課題は管理に信仰をどう働かせるか

1047、神の予定に拘りすぎると、人格関係のリアリティーが消えるかも

1046、私たち人間の側で、「神の当然」と言ってもいいのだろうか

1045、「神の恵み」「神の当然」を完全に表現できる神学なんてない。

1044、神に「どうして」と言ったばっかりに「あなたがしなさい」だなんて

1043、聖書は神の愛による「後追い神学」のように物語られているようだ

1042、「シャローム、神のプロジェクト」は神の愛の「後追い神学」なんだ