2019-11-01から1ヶ月間の記事一覧
ブーバーは「現実の世界とは神との関係の世界である」と言う。そう聞くと、私たちはすぐにこの世と完全分離した神秘主義の世界を思い描いてしまう。しかしブーバーの世界は、何もこの世と完全分離した神秘主義の世界ではないようだ。「永遠の汝」である神と…
「アブラハムの神」に理念はなかった。啓示の神がアブラハムに啓示された時に出会った頃、全く理念はなかった。また「パウロの神」にも理念はなかった。啓示の神がパウロに啓示された時に出会った時点では理念はなかった。しかしパウロがキリストと共に生き…
仮に、ある人が、「我と其れ」の世界にどっぷりつかって、非人格的世界で非人格的関係だけで生きるような人になっていたとしても、それでも「我と汝」を喜ばない人は、一人もいない。「我と汝」を喜ばない人は一人もいない、と信じ抜いて生きよう。なぜなら…
「一匹」が強調されている。また「ちいさい」も強調されている。「一匹」は、「我と汝」(ブーバーの言う根源語)の関係を表し、「九十九匹」は、「我とそれ」(ブーバーの言う根源語)の関係を表す。話の聞き手はみんな、この例え話に納得することを前提に…
「ラッキー」と思わず言った。ああこの言葉の根源は「すべては偶然だ」という考えから来ているのだろう。「しょうないなあ(仕方がないなあ)」と思わず言った。ああこの言葉の根源は「運命論、宿命論」から来ているのだろう。「信じればできる」と思わず言…
客観か主観か、を分けるようになった。 公同か自主か、を分けるようになった。 関係か存在か、を分けるようになった。 実存か歴史か、を分けるようになった。 でも究極的に重要なのは、やはり 人格関係か非人格関係かだ。 ブーバーの「我と汝」か「我とそれ…
私も60歳になった。今からこの認識に立っておこう。音には自信があった。でも自分の耳が違ってきているかもしれない。目には自信があった。でも自分の目が違ってきているかもしれない。舌には自信があった。でも自分の舌が違ってきているかもしれない。鼻に…
人は他人の傲慢を見ぬけると自慢する。でも人というものは、他人の傲慢はよく評価でき、分析できるものなのだ。何も自慢するほどのものでもない。批評的視点とか言っているが、本当は傲慢的視点であるかもしれない。ここが問題だ。なぜなら自分が傲慢である…