2019-12-01から1ヶ月間の記事一覧

1231、カウンセリングも独話の療法だと思うのです

最近、これは独話だろうか、それとも対話だろうか、と考えることが多くなりました。対話の追求の世界もあるけど、独話の追求の世界もあるんだろうなあと思うようになりました。突き詰めれば、本当の対話は人格関係的方向に行くが、本当の独話は非人格的方向…

1230、クリスマスは私たちの神像を打ち消すためにあるのではないか

クリスマスは私たちの神像を打ち消すためにあるのではないか。当時、誰一人として完璧な神像でキリストを迎えた人はいなかった。マリヤもシメオンもアンナもみんな、自分たちの神像を打ち消されざるを得ない経験をした上でキリストに出会ったはずである。21…

1229、中心があって、中心から周辺に向けての距離に関心を持とうと思う

中心があって、中心から周辺に向けての距離感に関心を持とう。中心があり周辺があるというイメージに集中したい。では中心に何があるのか。中心には存在があるが、同時に関係がある。関係があるということは対話があるということである。対話があるというこ…

1228、保守的な同じ結果を目指して、別の方法論を探し求めよう。補完するために

牧師は周辺的事項については、それぞれ異なる神学を反映させていると思う。それぞれ確信を頂いているからだ。しかし中心的事項に関しては保守的な同じ結果を目指していると思う。保守的な同じ結果を目指さねばならない。ただ別の方法論で保守的な同じ結果を…

1227、説教は未熟な説教と思われても、主観が横行する説教と比較できないほど尊い

TCCの説教学の授業で、流暢に話す説教が徹底的に批判された。私は注解書を読むような説教だったが、なぜか良しとしてくださった。この経験が私の説教に対する心の拠り所となっている。10年間は完全原稿、下を向いて説教しても良い、仕方がない、教会の寛…

1226、教会は二元論の線をきちんと引くべきだろう。一元論的真理に気づいていても

今週の説教でも、この世と教会は違う、価値観が違う、というふうな説教になった。ただ合理的に二元論的に区分け仕切れるものではないことはわかっている。ただ世の価値観が教会に入ってきて、それはそれで良しとするような空気になったとすると、もう教会は…

1225、留まる是、出て行く是、追い出される是

宗教改革においては 1、留まる是はカトリック 2、出て行く是は再洗礼派 3、追い出される是はルター(プロテスタント) どの道にも嵐あり、冒険あり、である。 1、やはり留まる是は、包括主義が生命かな? 2、やはり出て行く是は自発主義が生命かな? 3、やはり…

1224、神さまは個人的関係で繋がろうとしてくださっています。

1、神さまは個人的関係で繋がろうとしてくださっています。 2、しかし人は個人的関係アプローチの現象しか見えません。 3、ですから人はまず現象からそのアプローチに気づきます。 4、現象の中心に受肉と受難と復活と聖霊と再臨があります。

1223、何が大切なのか、何が残るのか、「叫び」だと本当に思うようになった

父が召され、母がホームに入り、父の書斎に入ることもあり、そうすると、クリスチャン一代目の父の叫びが響いてくるようになりました。父が召された時、葬儀で読んだ80歳の父が書いた手紙から叫びを聞き、素直に叫びを叫びとして受け止めることができるよう…

1222、ほとんどのキリスト教用語は、「神と繋がるため」にある

「悔い改める」というキリスト教用語がある。「悔い改める」ことが大切だというが、見落としてはならないのが、何のために悔い改めるのか、である。「悔い改める」のは「神と繋がるため」である。そればかりか、聖書のなかには人と人が繋がるためのキリスト…