2017-07-01から1ヶ月間の記事一覧

865、羊の耳は羊飼いの声を聞き分ける。私はイエスさまを聞き分ける

864、対話がスタートしたなら、沈黙が続いたとしても対話は続いている

863、「サウロ、サウロ、なぜ我れを迫害するか」が対話のスタートだった

862、「自然体!自然体!」と言うより、「御手のなか!御手のなか!」と言おう

861、非人格関係システムは人格関係システムを包括し、保たれていく

860、ウクライナ再洗礼派コロニーでドイツ敬虔主義説教で始まったMB

MBのスタートは敬虔主義だった。敬虔主義のインパクトは凄い。初期再洗礼主義のインパクトに匹敵する。未だに、敬虔主義と初期再洗礼主義のインパクトに到達できない。この二つが新しい教派、新しい共同体を作っていったのだ。初期再洗礼主義運動の地域に敬…

859、再洗礼主義→敬虔主義→構造主義→再洗礼主義を繰り返すMB

これに近い循環はすべての教派に起こってきたのではないだろうか。ただ再洗礼主義が他派と違うのは、体制教会との繋がりを完全に切った結果、歴史的根拠に空白が生じてしまったということである。その結果、敬虔主義の影響を受けた時、敬虔主義のバックにあ…

858、あなたが学ぶのをやめた時、あなたの死が始まる。Einstein

確かアリスター・マックグラスも牧師館を訪問したら、書斎を見せてもらうというようなことを言われていた。そしてその牧師はどの時点で書物を購入しなくなったかを確かめるということであった。つまり神学の世界に首を突っ込んでしまったら、途中でやめては…

857、神を伝えているものは、常に奇跡を伝えている(カール・バルト)

856、与えられた分、取られるのが試練。それを恵みとしないなら辛くなる

「主は与え、主は取られる・・・」ヨブのバランス感覚を感じる。彼は金持ちだったから金が取られた時の苦しみの分量が多かった。彼は家族に恵まれていたから家族が取られた時の苦しみの分量が多かった。喪失の量は与えられた分だけ取られるということである…

855、なぜこんなに損をしたのか? 自発的に犠牲を払う分を怠ったから

私たちの損とか得というのは神の目から見ると近視眼的なものである。パウロが損が得で得が損でと言ってのけた理由はかなりのインパクトを経験したからである。福音のインパクトは、この世の損得を問題にしない。損得を相対化するものなのである。だから私た…

854、神との対話なしに、遠くから御心を知ることができるのか、無理だ!

遠くから御心を知ろうとする人たちは、客観、客観、と言う。また批評的視点で御心を語ろうとする。しかし案外、神の近くで対話するだけで簡単にわかることがある。神の近くで対話する術は、祈り、賛美、礼拝、聖書、である。それも個人ですることもできるし…

853、愛に満ちた情熱的な牧師が、冷静に「御心」を神学した。凄い!!

852、恩師達の対話、聖書の先輩達の対話に加わり、教えてもらおう!

人間の想像力の凄さ、極みはここにあると思う。自分の恩師達が、自分の想像の中に登場して対話する、のである。考え方の違う恩師たちが、その人の生き方も含めて、議論してくれるのである。それを想像力を働かせて聞く、ある場合は、私から質問するのである…

851、天皇Centerdがある。凄い! ただJesus Centerdとは違う!

850、Centerdを理解した教会とそうでない教会、だいぶ違うように思う

849、客観的、批評的、非人格的説教をすると、聞き手もそのようになる