2018-07-01から1ヶ月間の記事一覧

1116、人格関係優先で生きないと、これに関する理屈は語れなくなるぞ

1115、主との出会いが何よりも最優先だと信じ抜く伝道が必要である

1114、本当の故郷が放蕩息子の父の家だと味わってもらう必要がある

1113、汎神論には人格関係的なものがないことを証明する必要がある

1112、日本宗教の対立軸にキリスト教がないことを証明する必要がある

キリスト教が日本宗教の対立軸にあると思われていたとしても、キリストご自身は異なるものであることを証明していく必要がある。キリスト=キリスト教ではないこと、キリスト=キリスト教文化でないこと、キリスト=キリスト教近代主義でないこと、を証明し…

1111、人のなかにある「罪の形」と「神の形」を信じ抜く伝道が必要である

イエスさまはニコデモにも、サマリヤの女性にも、優しく対決的に「罪の形」と「神の形」を信じ抜く伝道をなさった。

1110、三位一体論で規定するならば、出会いの神学は息を吹き返す

1109、福音は宗教でも無宗教でもない・三つ目の・(ティモシーケラー)

福音は、宗教でも無宗教でもない。恵みを通して神と関わる三つ目の方法であり、それは完全に別物だ。だからこそ私たちは、どちらかの極端に陥るという過ちを避ける、特有のバランスの取れた方法で、福音の鋭さを誠実に伝える。 — ティモシー・ケラー

1108、いつも問い続けないといけない質問。本当にあなたひとりなの?

何時ぞやのよきおとずれの原稿をアップ 聖書箇所は、第一列王記十九章一〜十八節 ここには弱くなったエリヤが描かれています。弱くなったエリヤは、大勝利者だったのに、国家権力よる殺害計画の報を聞いた途端、力を失い、えにしだの木陰でふて寝をしたので…

1107、人格というものは、人格関係的な対話によって気づいていくもの

1106、他宗教への問いは、人格神を信じるか否か、どんな人格神か

人格神を信じないなら、それを徹底してほしい。でも人はみな本当は人格神に出会いたいと思っていると思う。必ず信じていないという人たちも呼応してくれると信じている。

1105、人格関係的対話を客観的に100回語るよりも、絶えず祈ることだ

1104、人格というのは「人格関係的対話」で目覚めていくものだと思う

1103、説教は増大・飛翔した想像を聖書で絞り込みつつ生まれるもの

最初に想像力で広がらないと絞り込みなんかできない。想像力で広がる最初が日曜日の晩だと思う。私にとっては、前の週の週報に次週のタイトルを記述するあの時だ。

1102、発言に神が多すぎるのも問題。「神」が出てこないのも問題

両方に問題があると思ってきた。でも両方を積極的に評価するものでありたい。今の時代は「神が」が言えない。「イエスが」が言えない。深さはがり強調して、受肉した感じが出てこない。それほど世俗主義が強いんだろうなあ。教会でも・・。

1101、してあげたのに神の恵みだと言う、際どさ、危うさ、不思議さ

よく言われる、私がしてあげたのに、クリスチャンは神がしたと思っている、これが嫌だ、という発言を。クリスチャンはここでくじけてはならない。神がしてくれたのだ。あなたを用いて、である。ここを引いてしまうと、恵みを語れなくなるだろうなあ。

1100、日本人は、想像以上に仏教用語「縁」で生きている。さて・・・

縁、ですから、ということで伝道していくのは、日本人の心に届きやすいということがある。どう考えたら良いか。運命論や、宿命論や、仏教的な東洋思想を計算に入れて伝道すべきだということなのか。

1099、ナウエンとハワワース、ラルシュで繋がるとは思ってもみなかった

ハワワースの講演を聞く、私のなかでは、ハワワースを読んできたが、ナウエンも読んできた。二つが別世界のように思ってきたが、両方がくっついた。ラルシュという現場で・・。