どのように伝道していこうか

1122、「なぜ神を人格と考えるのか」(社会学者ピーターバーガー)

「究極的実在を人格神と捉える考え方と、非人格的な存在と捉える考え方は、どの宗教伝統にもある。だが、エルサレムを中心とする諸伝統は前者を重んじ、ベナレスを中心とする諸伝統は後者を重んずる、という一般化は許されるように思う。神は、人格的で、言…

1118、無宗教葬儀を願うならキリスト教という選択肢も提供できるのでは

1117、神さまは「人格関係」的な「人格神」という言い方がしっくりくる

1115、主との出会いが何よりも最優先だと信じ抜く伝道が必要である

1114、本当の故郷が放蕩息子の父の家だと味わってもらう必要がある

1113、汎神論には人格関係的なものがないことを証明する必要がある

1112、日本宗教の対立軸にキリスト教がないことを証明する必要がある

キリスト教が日本宗教の対立軸にあると思われていたとしても、キリストご自身は異なるものであることを証明していく必要がある。キリスト=キリスト教ではないこと、キリスト=キリスト教文化でないこと、キリスト=キリスト教近代主義でないこと、を証明し…

1111、人のなかにある「罪の形」と「神の形」を信じ抜く伝道が必要である

イエスさまはニコデモにも、サマリヤの女性にも、優しく対決的に「罪の形」と「神の形」を信じ抜く伝道をなさった。

1109、福音は宗教でも無宗教でもない・三つ目の・(ティモシーケラー)

福音は、宗教でも無宗教でもない。恵みを通して神と関わる三つ目の方法であり、それは完全に別物だ。だからこそ私たちは、どちらかの極端に陥るという過ちを避ける、特有のバランスの取れた方法で、福音の鋭さを誠実に伝える。 — ティモシー・ケラー

1106、他宗教への問いは、人格神を信じるか否か、どんな人格神か

人格神を信じないなら、それを徹底してほしい。でも人はみな本当は人格神に出会いたいと思っていると思う。必ず信じていないという人たちも呼応してくれると信じている。

1100、日本人は、想像以上に仏教用語「縁」で生きている。さて・・・

縁、ですから、ということで伝道していくのは、日本人の心に届きやすいということがある。どう考えたら良いか。運命論や、宿命論や、仏教的な東洋思想を計算に入れて伝道すべきだということなのか。

1096、兄は故郷で父の心から離れ、弟は都会で父の心から離れていた

旧約聖書の律法でユダヤ人は養育された。その結果、二つの道に別れた。一つの道はお兄さんの道、もう一つの道は弟の道だった。お兄さんは故郷にいたが父の心から離れていた。弟は故郷から離れて、父の心からも離れていた。父が願っていたのは、父の心に近づ…

1096、リディーマーDNAを一言で言うと「福音は全てを変える」だそうだ

リディーマーとは、ティモシーケラーがニューヨークで牧会している教会・・・ 1. 福音的で神学的な深さ(教理的に浅い、プラグマティックで、内省的でない、方法主導型に対 して)2. すべてのことに適用される恵みへの不断の認識(律法主義や冷たい知性主義…

1093、確かにお葬式は教会でしたいという方が増えてきているように思う

昨日、教会でお葬式を願われている方が紹介されて来られて、すぐに信仰告白をされた。こんなふうな事例がこれからも起こるのだろうなあ。日本の宣教はこれなんだろうかと考えさせられた。この話をしていると、1人の方が私に、別の方がお葬式は教会でしてほし…

1092、「イエスさまの関係者」になりませんか。これなら通じるかな・・

1088、「故郷作りの神学」の超えたところに「さらに優れた故郷」がある

故郷は人間が作るのではない、神さまが作ってくださるのだ。しかし故郷作りとしての教会像に今魅力を感じている。故郷だからこそ帰ってくる。帰ってくる場所として教会像に魅力を感じているのだ。ちょうど放蕩息子の父の家を表現できればと願うのである。こ…

2、無の境地なんて堪えられない、本物の仏教者、無神論者は凄い

1、運命論・宿命論は冷たくて寂しいよね、と言って宣教しよう!