2017-10-01から1ヶ月間の記事一覧
確かに、曖昧な表現です。でも「あなたも関係者だ」という曖昧な表現が日本宣教では大切なような気がします。「関係者以外立ち入り禁止」という表示があるとき、自分なりに「あなたも関係者でしょ」というふうに言って入れてあげる、そんな領域。人類はみな…
知らなかったことだから、感動し、慰められ、救われるということがある。キリスト教に対しての反応はそのあたりにあるように思う。知っているつもりになって、全然感動しない、全然慰められない、ということもある。西洋で知らなかった仏教が広がっている。…
伊藤と岩倉は使節団として西洋諸国を歴訪したとき、近代国家に圧倒され、そこに基督教があることを認識し、日本にこれに相当するものがないと政治的に考え、これが天皇制を作る動機となっていったのであろうと思われる。つまり西洋のキリストに相当するもの…
私には無理だ。天皇の真似も無理だ。言葉が通じないことがわかっていて、決まった言葉を発言するのは無理だ。発言の中に自分の意思を入れ込もうと何度もしたが、無理だとわかっていく歴史を刻んでいくのは自分には無理だ。たとえ自分の代が終わったとしても…
天皇の立場を日本人は、宿命論で捉えざるを得ないだろう。天皇として生まれたお方は天皇として生きざるを得ないのだろう。しかし日本社会には小天皇もいっぱいいる。つまり宿命論のもとで諦めて生きる小天皇である。案外リーダー的な立場の人たちのなかにも…
先日、映画、アメイジング・ジャーニーを見た。あれも、トリニティードラマの一つの表現の仕方であろう。あのように認識し、あのように夢、幻を見た主人公が癒されていったという事実を表現した映画だった。私たちはトリニティードラマをあのように描いても…
「神学」という語はもともと「神の自己啓示の知的人格的知識」を意味していたと言い、今では、それがもとの意味を失って「人間の生活に不可欠の知恵や明敏な判断力」を意味するようになっている(エドワード・ファーレー)
「日本語にperson(人格的な交わり、関係の中で生きる人間)にあたる言葉がないということは、キリスト者に深刻な問題を突きつけます。なぜなら、恐れて、遠く離れることによってではなく、愛情を表すことによって、私たちは神を礼拝し、神を知るからです。…
1、イブキ(存在論的) いのちの水の川の流れ、死海(例証)、ヘルモン山の露、聖霊の満たし、カリスマ派の霊性、からしだねのたとえ、パン種のたとえ、愛と平和を広げる武庫川キリスト教会、聖書は神の霊感によるもの、イエスさまが弟子に息を吹きかけられ…
1、神の息からの神秘の物語がある 神秘の物語は存在論的である、神秘の物語の起源は創世記2章にある2、神の形からの対話の物語がある 対話の物語は関係論的である、対話の物語の起源は創世記1章にある3、神の言からの宣教の物語がある 宣教の物語は目的論的…