922、知らないから希望を持てる場合があり、反対に失望する場合がある

 知らなかったことだから、感動し、慰められ、救われるということがある。キリスト教に対しての反応はそのあたりにあるように思う。知っているつもりになって、全然感動しない、全然慰められない、ということもある。西洋で知らなかった仏教が広がっている。しかし日本で知らなかったキリスト教が広がっているかというとそうではない。なぜだろう。日本人はキリスト教のことを知らないままだが、キリスト教文化の影響を受けてわかったつもりになっているところがある。だから日本では広がらない。キリスト教世界で生じた近代主義が先に来て、福音が後に来る場合、キリスト教は広がらないのではなないか。キリスト教文化が先に来て、福音が後に来る場合、広がらないのではないか。つまり変にわかったつもり、知ったつもりになり、キリスト教に勝手に失望してしまうということがあるのではないか。福音の本質を知らないままに、福音の感動を知らないままに、西洋で起こった議論などが先に入って来るということで、キリスト教の宣教にブレーキがかかっているのではないかと思う。