1199、確かに「人格神」は「人格」を超えたお方なんですが・・・

 確かに「人格神」は、我々の「人格」を超えたお方です。しかし、クリスチャン以外の人たちが「人格」を超えたお方を想像する場合、おそらく非人格的ものを想像するしかないのではないでしょうか。きっと非人格的なものだからこそ崇高であると考えるのではないでしょうか。非人格的な神ではなく、相手に語りかける人格関係的な神を想像したとしても、その神は低次元の神となってしまうのではないでしょうか。

 

 しかしクリスチャンの信じる神は、「人格」を超えた高次元のままの「人格神」です。高次元の「人格神」であるにもかかららず、クリスチャンに理解し得る「人格」ある「人格神」です。クリスチャンは、お祈りをすることによって、この「人格神」と語らっているのです。しかしなぜ、人格を超えたお方なのに、私たちクリスチャンと人格関係を持ち得るのでしょうか。もちろん、クリスチャンが、「ただ信ぜよ」の招きに答えて、イエスさまを信じ、私たち自身が新しい人格に変えられたからです。