三位一体教No.14(連続物ですので面白くない方は読み飛ばして・・・)

 以上のことから、私たちは、「一」なるお方の中に、すでに、コミュニケーション可能な共同体(二・三人の関係)があったことに気づくのです。彼こそが「二者関係」(二人で語り合う関係)、「三者関係」(三人で語り合う関係)の経験者であられたことに気づくのです。つまり、キリスト教が、「一神教」とは呼ばれているものの、もともと二者間、三者間のコミュニケーションを内包する「一神教」であったことに目が開かれるのです。

ですから、キリスト教を次のように考えましょう。キリスト教の神は、人間の合理的な頭で理解できる程度の「一」なる神だけでなく、神の「一」のなかにある、二・三人の関係を探し求める、「関係の宗教」「人格関係の宗教」だということです。それに対して、多神教のほうには、多を統一する「一」を探し求める宗教でした。続いて、多神教が「一」を探し求める傾向について考えてみたいと思います。

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