人格関係から辿る救済史No.1

「あり得ないことが起こった」(人格関係から辿る救済史)

 「人格関係」論の観点から、神の救いの歴史を読んでみました。そもそも根本問題は何なのでしょうか。それは、神が全知全能ならば、絶対に対話の相手である人類との「人格関係」が損なわれる筈がないということです。絶対に対話の相手ある人類との「人格関係」が損なわれる筈がないのに、あり得ないことが起こってしまったという、事実が聖書物語なのです。しかし、もっとあり得ないことは、にもかかわらず、神の側から人類に対する架け橋(イエスキリスト)がかけられた、というこれまたあり得ないことが起こるのです。それが福音であり、それを伝えているのが福音宣教なのです。福音宣教は弟子たちによる救いの事実の証言から始まり、聖霊が働く教会のゆえに、今日、我々は生き、世の終わりまで伝え続けようとしているのです。我々は、このあり得ない話を、「当然」起こるべくして起こったことのように悟ってはなりません。もしこのあり得ない話を、私たちの側で、「当然」と言う言葉で片付けてしまった時、キリスト教の生命である「神の恵み」も「神の憐れみ」も見えなくなってしまうのです。ああ神の側の当然が、私たちの側の当然でない、ここのところをどう表現したら良いのでしょうか。