1164、「祈り」(人格的交応関係に立つ)こそがキリスト教の弁証となる(大木英夫)

12弟子たちは、イエスさまが父なるお方との人格的交応関係に立つ「祈り」をされているのを垣間見てただ不思議に思ったことだろう。これは一体なんだと思ったことだろう。彼らの眼前に、この人格的交応関係に立つ「祈り」が展開されていたのである。これこそがキリスト教だけの持つ別世界、未経験ゾーン、神の国だったのである。