1198、629の脳内出血後の有田師が20分かけて語られた説教(ルカ5:6)を再想起してみた

629、脳内出血後の有田師が20分かけて語られた説教(ルカ5:6)

 

 先生は下記の説教なさるのに20分かけられた。一行に1分以上かけられたのだ。また行と行の間にかなり長い「間」があった。ユダヤ人哲学者ピカートの「沈黙の時」を想起する。沈黙をキャンバスに言葉が動き始める。ちょうど、有田先生がこの説教をされた年齢に私も達した。私など到底及ばない先生の「霊性」。当時、先生は「霊学」でもするか、と何か冗談を言うような響きで語られた文章が残っている。

 

荒野は如何なるところか
私の心はそこに集中していた
荒野の語源は「語る」という動詞である
それは如何なることか
人なきところ
声なきところ、
と誰が考えるだろうか
私にはやがてその意味がわかった
それは神の語るところ
神の声のあるところ
という意味である
そうです
廃墟と祈り
それが私の持つところの意味である