有田優先生語録11(1990.7.1記録)

11、「近放伝は、外国の先生ばかり呼んで・・・」(1980年代から有田先生がよく言われていたことです。近放伝というのは、近畿放送伝道協力会のことで、当時から関西の福音派の協力伝道としての最大規模の協力団体だったので、超教派の協力伝道に対してこう言われたのでしょう。当時のそのような考えの延長線上に、後の「甲子園ミッション」があったのだと思います。甲子園ミッションはS牧師が自分の牧会する教会の伝道集会を甲子園球場でしたいというビジョンから始まり、その講師として、外国からの方ではなく、T先生にお願いする、という運びのなかで、なされたものでした。諸評価はいろいろあるでしょうが、しかし今だに、日本の教会は、あらゆる分野で、外国から、特にアメリカ・韓国からの運動、神学を輸入して動いているように思います。大挙伝道のみならず、弟子訓練、霊性運動に至るまでその傾向が強いように思います。有田先生は晩年近くなると、この点で苦慮されていたように思います。)