有田先生語録

629、脳内出血後の有田師が20分かけて語られた説教(ルカ5:6)

荒野は如何なるところか 私の心はそこに集中していた 荒野の語源は「語る」という動詞である それは如何なることか 人なきところ 声なきところ、 と誰が考えるだろうか 私にはやがてその意味がわかった それは神の語るところ 神の声のあるところ という意味…

有田先生が赤線、青線を引いておられた箇所3

「1960年5月6日、安保反対闘争や民主主義擁護運動が頂点に達していたころ、各地の教会の青年諸君が、教会はなぜ色彩をせん明にして信者を指導しないのか、教会の権威は失われたと牧師先生につめよったと聞いています。しかし私はこれは青年諸君の側に教会と…

有田先生が赤線、青線を引いておられた箇所2

「そこでキリスト者は政治の領域で二つのことを聖霊から教え導かれます。第一、政治や社会改革はどれほど重要であるとしても、キリスト者にとっては、第二次的な重要性しか持っていないこと。しかしこのことはキリスト者は政治や社会改革に消極的に参加せよ…

有田先生が赤線、青線を引いておられた箇所1

「そこで私は聖霊に関して次の二つの疑問を提出したいと思います。第一、聖霊は果たして私のあれか、これかの具体的な問題に対して、明解な答えを与えてくれるのか。第二、仮に与えてくれるとして、その答えは誤りを犯さないと考えてよいのかどうか。」(有…

有田師語録6をもう一度思い起こしながら・・・

6、「私の聖書主義は、私が死んだら終ってしまうでしょう。私の聖書主義というのは、カトリックもすべて超えたかたちのイエスさまだけ、ということです。(先生の言葉が少し寂しそうだった。神学校時代先生が勧めてくださった諸本を全部読めなかった、先生が…

有田優先生語録28「思いつつくままに」(卒業生への言葉)昭和42年4月1日

ぶっそうな時代になった。夜道で人に出会うと、一応は警戒して通らねばならぬ。しかし、警戒されているのは、ひとさまだけだろうか? 信者が顔色をうかがわねばならぬような人間になってはいけないと思うね。みんなから嫌われるようになったら、おしまいだか…

有田優先生語録27「思いつつくままに」(卒業生への言葉)昭和42年4月1日

「昨夜、祈りのうちに、主に示されましてね・・・」ほんとうかしらん?・・・ 「祈ってますからね。」 ほんとうかなあ?・・・ クリスチャンは、うそをついてはいけませんね。

有田優先生語録26「思いつつくままに」(卒業生への言葉)昭和42年4月1日

牧師が信者の偶像になると困るねえ。だけど、偶像になれない牧師も困るねえ。

有田優先生語録25「思いつつくままに」(卒業生への言葉)昭和42年4月1日

「老人をとがめてはいけない。むしろ父親に対するように、話してあげなさい」とパウロは言う。 としよりをあごでつかうのは、どうですかな?

有田優先生語録24「思いつつくままに」(卒業生への言葉)昭和42年4月1日

耐え忍ばねばならぬ。いと小さきひとりの者のために。忍耐! マクロシュミア(長き忍苦)というギリシャ語を忘れるな!

有田優先生語録23「思いつつくままに」(卒業生への言葉)昭和42年4月1日

「あの先生は、えこひいきをするって、みんな言ってるよ。」 小学生の会話ではない。教会でのはなしである。

有田優先生語録22「思いつつくままに」(卒業生への言葉)昭和42年4月1日

「U先生は京大の講演を、電報を打って中止してもらい、某教会員の臨終の信仰をみとったんだって」ゼールゾルゲ-牧師職、ゼールゾルゲ-霊魂への憂慮!

有田優先生語録21「思いつつくままに」(卒業生への言葉)昭和42年4月1日

「きみは、いくつになる? 25歳だって? まだ若い! ダニエルは、神を『日の老いたる者』と呼んでいる。神さまよりも賢くなるなよ。」

有田優先生語録20「思いつつくままに」(卒業生への言葉)昭和42年4月1日

非神話化、非宗教化の声ぞしきり。されど非世俗化の呼び声は・・・。ルッター復興の叫び!されど信仰復興の呼び声は・・・。 「ひとつ神学はやめて、霊学でもするか?きみはどう思う?」

有田優先生語録19「思いつつくままに」(卒業生への言葉)昭和42年4月1日

歌、おどり、ドラマなど、何んでもできるタレントは、ひっぱりだこだという。「わたしも、ひとつ何んでも屋になろうかしら。あなたのご意見は、いかが?」

有田優先生語録18「思いつつくままに」(卒業生への言葉)昭和42年4月1日

「人のふところも考えないで・・」と思っている人があるかも知れない。大いなるヴィジョンも結構だが、教会の会計を泣かせるな。人を思いやるの心・・・。

有田優先生語録17「思いつつくままに」(卒業生への言葉)昭和42年4月1日

ある人は言う。「人生は押しの一手で行け」と・・・。 しかし、信者に対しては、通用するや否や? だれか牧会カウンセリング講習会をひらく者なきか。

有田優先生語録16「思いつつくままに」(卒業生への言葉)昭和42年4月1日

みことばを棒ぎれのようにふりまわす者がある。しかし、みことばは聴かるべきもの、仕えられるべきものである。牧師は「みことばの役者」とある。

有田優先生語録16

「この頃は聖潔派も「完全聖化」を言わなくなりました。言っているのは「〜教団」と「〜教団」の一部の人たちぐらいです。」と残念そうに言われたのです。(有田先生がこのような言い方をされるので、いつも先生の真意がわからなくなるのです。先生は、きっ…

有田優先生語録15(1984年頃の神学校での「現代日本神学」の授業ノートより)

有田師の神学史的分類 1期(明治元年〜41年)神学以前の時代 ピューリタン的正統主義傾向を宣教師から受けた時代で神学と呼ばれ得るもののない時代と考えてよかろう。植村正久の「真理1斑」は内容的には福音の弁証であり、いわゆる「キリスト論争」(明治3…

有田優先生語録14(1984年頃の神学校での「現代日本神学」の授業ノートより)

有田先生は、19世紀は「正統主義」+「自由主義」+「折衷主義」の時代、20世紀は、大陸では、バルト、ブルンナ−の時代であったが、日本おいては、バルト神学が影響したが、ブルンナ−神学は哲学的で日本ではあまり奮わず、ティリッヒは哲学的・文化的で…

有田優先生語録13(1990.7.1記録)

13「カルヴァンとウエスレーの中間のよりよい解釈を求めてください。」(私が東京の穏健カルヴァンの超教派の神学校で学んでいて、神学で悩み、有田先生に相談にあがった時の言葉です。有田先生は、「中間のよりよい解釈を求めてください」と言われました。…

有田優先生語録12 日本MB宣教初期の状況を知る文章(1990年に有田先生の語られたものを武田が1990.8.4に文章にしたもの)

主が大阪の地に宣教師の方たちを遣わされて、み業を始められてより今年で40年になります。日本メノナイト・ブレザレン教団が今日のごとくなりましたのも、ただ主の恵みによるものと心から感謝し、聖名を賛美申し上げます。当時の日本は敗戦の衣・食・住のま…

有田優先生語録11(1990.7.1記録)

11、「近放伝は、外国の先生ばかり呼んで・・・」(1980年代から有田先生がよく言われていたことです。近放伝というのは、近畿放送伝道協力会のことで、当時から関西の福音派の協力伝道としての最大規模の協力団体だったので、超教派の協力伝道に対してこう…

有田優先生語録10(1990.7.1記録)

10、「今日の説教はカルヴァンが強過ぎる」(私の説教を聞かれた後、私にぽつり言われたことばがこれです。有田先生にとってのカルヴァンの構造主義は強さの問題なんだなあと思いました。確かに、私が参考にしていた注解書は穏健カルヴァン派の学者のもので…

有田優先生語録9(1990.7.1記録)

9、そのとき、信嗣君はどう言いましたか。(私は副牧師になっても有田先生からはずっと信嗣君と言われていました。私が有田先生にある人の意見を伝達したとき、ただ自分に伝達するだけでは駄目だということをおっしゃりたかったので、このことを問われたのだ…

有田優先生語録8(1990.7.1記録)

8、私は本当はMBにはいてはならない人間なのです。(そのような言い方をよくされたのですが、しかし先生はMBをよく研究されただけでなく、MBを愛され、MBをご自分から選ばれた方です。聖公会の学校で教鞭をとり、カトリックを学ばれ、福音派諸教会とも一定…

有田優先生語録7(1990.7.1記録)

7、うちの神学校のモットーは、すべてのイズムを超えてということですが、実際はできていないのです。看板だけになっている面があります。

有田優先生語録6(1990.7.1記録)

6、私の聖書主義は、私が死んだら終ってしまうでしょう。私の聖書主義というのは、カトリックもすべて超えたかたちのイエスさまだけ、ということです。(先生の言葉が少し寂しそうだった。神学校時代先生が勧めてくださった諸本を全部読めなかった、先生が伝…

有田優先生語録2-5(1990.7.1記録)

2、説教は、一筋縄ではいかないから。「これ一本」では飽きられるから。(これ一本という福音派の説教、社会派の説教、心理学的説教に対して危機意識を持っておられたのでしょう。これ一本という中心があったとしても、その中心には周辺もあるということでし…