有田優先生語録15(1984年頃の神学校での「現代日本神学」の授業ノートより)

有田師の神学史的分類

 1期(明治元年〜41年)神学以前の時代
 ピューリタン的正統主義傾向を宣教師から受けた時代で神学と呼ばれ得るもののない時代と考えてよかろう。植村正久の「真理1斑」は内容的には福音の弁証であり、いわゆる「キリスト論争」(明治34年)も、福音理解のための戦いであった。やっと和訳がなされた時代であるから、このような事情もやむを得ないと考えられる。
    
 2期(明治42年〜昭和20年)神学導入の時代
 波多野精一「基督教の起源」(明治42年)か出たが、この頃より、神学的思考の時代に入る。いわば、神学導入の時代である。植村正久、賀川豊彦内村鑑三、偉大な人物だが神学者ではなかった。高倉徳太郎にしても、日本の神学界のレベルを一定のところに進めたという以上のものを期待できぬ状況であった。大正12年関東大震災以後、バルト、ブルンナ−が紹介されたが、しかし戦争によりレベル向上もストップされ、日本の学界に深く根をおろすまでは行かなかった。日基主流はバルト主義であった。渡辺善太は救済史学派で少し浮いた状態で、日基のブルトマン派から見て古い考えに思えたようである。昭和に入ってからは桑田秀延、佐藤繁彦、熊野義孝などの時代が始まる。
    
 3期(敗戦後の現代)神学胎動の時代
 敗戦後、日本の再建とともに神学の胎動期に入る。弁証法神学の場合、特にバルト神学が大きな影響を与え、ブルンナ−は、あまり日本に影響を与えることができなかった。現代はブルトマン、ティリッヒの研究者が増えつつあるが、バルティアンがまだ多い段階である。日本の神学界は最初、主として、英米の神学に学び、ついでドイツの神学の影響を受けて今日に至っている。また、福音派に関しても、戦前は改革派だけがメイチェン、ウォ−フィールドの研究などで神学をしていたが、戦後は大々的に神学の世界に進出し始める。しかし、その現状はアメリカのものを訳すことに追われている状況である。