Robert Enns「一体何がMBの中で起きているのか?」 2004年6月

「一体何がMBの中で起きているのか?」2004年6月  Robert Enns

 このエンズ師のこの論文は、EBSで「MB歴史」を学んできた私たちが批評的に考察するために非常に有益な論文と考える。実際、日本MB歴史について客観的に評価された論文はロバート・リー師によるものと、今回のロバート・エンズ師による論文のみであるがゆえに貴重なものである。


序論
私はフレズノ・パシフィック大学で学生に社会学は地図のようなものだと説明している。地図は、シンボルである。シンボルは真の状況の絵を与えます。地図のように社会学は、私たちが過去いた場所、現在いる場所、そして将来いくかもしれない場所を理解する有益なものかもしれない。しかし、地図のように社会学は、私たちに現状でどのようになすべきかを示すことはできませんし、また今いる所から行くべき所を命ずることもできません。この短い論文での私のゴールは、第一にMBと他の学者(かならずしも社会学者ではない)が北米のMBが過去どこにあり、現在どこにあると思われるかを書いた最近のシンボル、イメージ、比喩(隠喩)そして地図について紹介する。第二に、私は日本への宣教と日本MB教団がこれらの地図にどのように位置するかについて仮説を示したい。第三に、個人的な見解を述べたい。

私たちは、生物学的かつ霊的な先祖を自分自身で選ぶことはできない。しかし、私たちは私たちのものである遺産(遺伝子?)を欲することを選ぶこともできるし、しなければならない。私の希望は、あなた方があなた方自身の過去を理解しようとする時、あなた方自身の現在を苦しんでいる時、そして、日本のMBのクリスチャン・教会・教団として将来を創り上げようとしている時、この短い論文が有益となることである。


1.北米のMBを理解するための比喩

A.LYNN JOST:三本脚の腰掛
神学者Lynn Jostは、MB神学を描写するために三本脚の腰掛のイメージを用いた。MB教会が1860年南ロシアのMolotschanaコロニーで始まった時、MB教会は三つの主な神学的な影響を受け継いだ。(Jostの「腰掛」の三つの「脚」)それは、オランダのアナバプティズムルター派の敬虔主義、そしてドイツのバプテスト福音主義。感情主義(ペンテコステ主義)とディスペンセイション主義(ドイツBlankenbergのバイブル教団による)のように、始めからそれらは異なった神学的な影響と発展もあった。北米に移ると共に根本主義や、そして近年では、教会成長やセル・チャーチ運動や「Seeker friendly」というメガ・チャーチなどを含む多くの他の影響があった。しかし、Lynn JostはMB教会の神学を描写する方法として三本脚の腰掛の比喩を提案している。

三本脚の腰掛は、安定性があり快適である。敬虔主義の感情的な強烈さ、弟子としての献身、共同体、アナバプティズムの平和、福音を共有する意欲、相互的に富ませる福音主義。しかし、脚がひろがっていき、もし脚が十分にまとめて縛られないなら、腰掛全体がつぶされてしまうという危険性もある。MB歴史は、その三つの脚(ある時はそれ以上)が相互に支えあう構造で互いに持たれ合うように努めてきた物語である。時々、三つの神学は互いに対立する。

「敬虔主義は、個人的な救い、神の恵みの内的経験、すべての真の信仰者の交わり、そして、千年期の終末論を強調し、信仰共同体における弟子概念を周囲に押しやった。救いの経験における感情の強調は、いくらか否定的な結果をもたらした。さらに無抵抗を約束するMBはしばしばひどく侵食された。」(p.49)

ロシア、米国、カナダにおけるMBの人々にとって、(多くの対立と変化にもかかわらず)一世紀以上の間ともに脚を支えあうのを助けたいくつかの要因の中に、地理的隔離と共通の民族文化がある。民族文化は何十年もの間互いに腰掛のさもなければ不安定な脚を支えあうのを助ける「接着剤」となった。

 地理的・文化的隔離のための伝統的な「接着剤」の溶解は、ちょうど第二次世界大戦前とその間、その後に加速した。(都市部を含めて)ますます多くのMBの人々が新しい地理的地域へ移住し、高い教育水準を成し遂げて、農業以外の職業に従事し、そして、階層社会の高い地位に就いた。Lynn Jostは「分裂や多元主義に向う傾向はしばしば教会の歴史に現れる.」(p.43)のようにいくつかの警告的指摘を含んでいる。そして「最後の四半世紀の間に各教派はその神学のアイデンティティーを定義し、明瞭に表現しようと努めた。」(p.52)しかし、彼は楽天的な指摘で論文の最後を締めくくる。「信仰と生活委員会の下MB協議会の最後の行為(条例)は、将来に希望を与える。教会における十数年の長い間の検討の結果である信仰告白の受容は、福音的なアナバプティズム、聖書中心、宣教運動という遺産を継承する。」(p.53)たとえ共有されている文化や社会的な隔離の「接着剤」が溶解し、教団協議会が新しい信仰告白をもはや必要としないように組織化されようとも、信仰の神学的な声明が互いに三本脚の腰掛を支えあうであろうことが適当であることを彼が期待しているように思われる。


B.PAUL TOEWS:アメリカ社会の端から中心

Paul Toewsはシンボルとして「円」を用いている。メノナイト派(特にMB)は、アメリカ社会の「円」の円周上から「中心」へ向かって動いてきた。他の移民グループと同様に、メノナイト派は様々な場所から様々な時にアメリカに着いたが、彼らは彼ら自身のユニークな宗教的・文化的な特徴をもって比較的独立した共同体を形成していった。

彼らの宗教的・文化的な奇異な習慣は、彼らをアメリカ社会の主流の「端」に位置付けた。他のヨーロッパからの移民と同様に大抵のメノナイト派は(アーミッシュやHutteritesやオールド・メノナイトのグループのような「明白な人々」は例外であるが)一般的にアメリカ文化や社会に同化していった。文化的に、ほとんどの北米のMBの人はドイツ語から英語に変更し、他のアメリカ人と「異なった」ものとして見られる衣類の形態(そしてほとんどの民族的な食べ物)を諦め、典型的な中流アメリカ人によって楽しまれている娯楽の形態(テレビ・演劇・映画・ダンス・カードゲーム)の大部分を受け入れていった。彼らは社会のクラブやサービスや専門的な組織に他のアメリカ人と同様に同じ社会制度の大部分に参加している。彼らは投票し、政治的な役職を持った。彼らは生命保険や健康保険に加入し、株式投資をする。彼らは民族的かつ宗派的な境界を越えて結婚することが自由である。相当たくさんの人がアルコールを消費している。過去において、これらすべてのことは、そして他にもたくさんのことが(公の場で冗談を言うことも含まれる)MB教会の会員のために明確にあるいは暗黙のうちに禁止されてきた。これらや他の方法によって大抵のメノナイト派は、北米の文化や社会にヨーロッパの非常に典型的な文化や社会の形式を同化していこうとした。

実際、MBは他の最も大きなメノナイト派よりも遠くへ、そして早く主流のアメリカの生活に適合するように動いた。同化の方向にMBの人(そして多くの他のメノナイト派も)を動かす力の中で、新しい地理的地域へ移住し、田舎から都会へ動き、教育水準が向上し、農業よりも他の職業に従事し、貧困から中流クラスの成功した社会的経済的地位を獲得し、そして、二十世紀の間に行われた2つの戦争の外的痛手がメノナイトの思考と行動に影響を与えた。?????

しかし、Paul Toewsは、メノナイト派はまた多くの他の移民共同体と異なっていると示唆する。メノナイト派が、「円」の社会的文化的な端から現代アメリカ社会の「中心」に向かって動いた時、彼らは彼ら自身のアイデンティティーを失いませんでした。1930年から1970年までの数十年間について1996年の書物でToewsは次のように楽天的な結論を示唆した。「近代化への同じまっすぐな道を行くようにすべての人を見ることは、固執し工夫に富む人々が彼ら自身の独自の性格を維持してきたという事実を無視することである。」(p.342)

メノナイト派が社会的な円の端で地理的かつ文化的に隔離された状態からアメリカ社会の文化的かつ社会的な中心へ動く時でさえ、3つの主な要因が彼らにアイデンティティーを維持することができるようにしてきた。第一に、「アナバプテストのビジョン。」それは、1943年にオールド・メノナイト教会のリーダーであったHarold Benderによって提唱されたもので、北米メノナイト派の世代に宗教的なアイデンティティーを組織化する観念的な中心を歴史的に基礎として与えた。Benderは「弟子としてキリスト教の本質(倫理的な信仰深さ)を定義した。相互関係と自己責任を訓練された自発的な教会共同体に信仰を持って集められ。そして、すべての関係や市民性や宗教を治める愛と無抵抗の倫理。」(Toews p.104)メノナイト派のほとんどに痛烈な争いと分裂を引き起こす他の競争する神学もあった。これらの中の中心は根本主義であった。(ディスペンセイション主義も含む)根本主義は、他の主だったメノナイト派のグループによってよりもMBによってもっと広く受け入れられたが、しかし、漸進的メノナイト派の多くの人々は、伝統的なメノナイト・アナバプテスト信仰と矛盾するものとして根本主義をみる。なぜなら、それが過度に融通の利かない、律法主義的、個人主義的、国家主義的、闘争的で対立を引き起こし、平和に対する伝統的なメノナイトの約束(姿勢)を覆すように思われたからである。

※現在の福音聖書神学校は「漸進的なディスペンセーション」に立つことで、アナバプティズムとディスペンセーションの矛盾点を克服しようとしている。

 第二に、北米のメノナイト派は(すくなくともMBのような「漸進的な」人々)、教派組織のセットを開発した。「それで19世紀の終わりまでに、それらのグループは日曜学校、教会定期刊行物、海外宣教と社会委員会、復興会議、そして他の特別なサービス、教会立の大学、出版社とその他新しい業務を始めた。この組織的な復興の他の部分は、教団構造と官僚組織であった。」(Toews p.36)他の多くの組織は、第二次世界大戦の終わりに次ぐ数年にできた。これらの組織は、MBのアイデンティティーを表現し継続したが、しかし、それらはまた、他のメノナイト派キリスト教の教派からその教派を目立たせる活動やプログラムとして取り入れられた。教派組織はまた、異なった神学の確信を持ったメノナイトのリーダー達の間の内部的な争いと特にアナバプティズム根本主義の間の論争の論場となった。「1913年から1951年までの間、少なくとも七人のメノナイト大学の学長がそのような争いのために部分的に辞任した。」(p.71)少なくとも一人の学長と幾人かの教授がTabor大学を去った。東部メノナイト大学(MC)恵み聖書協会(GC)太平洋聖書協会(MB)を含む新しい組織がまた、根本主義者が旧い教派の学校について疑って設立された。MBBSやMB神学校を含む他の組織における変化はまた、同様の緊張状態を反映した。「その最初の10年において、MBの学校(MBBS)は《アナバプテストのビジョン》からではなくアメリカの根本主義から手がかりをとった。しかしながら、それは変化した。1960年代の中頃、新しいリーダーシップの世代が神学校とフレズノ・パシフック大学の両方に入ってきた。両方の組織はアナバプテストのルーツをもっと意識する、そして学問がMCやGCの人にもたらしていたアイデンティティーの再定義にもっと興味のある若い教授を採用した。」(p.282−283)同様の対立が出版や海外宣教を含む他の委員会やプログラムでも起きていた。

第三に、メノナイト派はメノナイト間委員会とプログラムのほとんど多数を開発した。Toewsは1974年には69のメノナイト間組織があり、1941年以前にあったのは3つだけだと報告している。(p.268)メノナイト中央委員会(MCC)を含む多くのそれらの組織にMBの人は参加した。そこの最初の、そして長年(1920年〜1953年)議長を務めたのは、MBのひとりであるP.C.ヒーバートであった。MCCは、すべてのメノナイトのグループが「キリストの名において」(MCCのモットー)協力して、非常に大きな活動の世界大の働きの組織となっていった。第二次世界大戦の間ほとんどすべてのメノナイトのグループは、軍への参加に良心的に兵役を拒否する人に対する民間公共事業(CPS)プログラムの組織化と管理化と設立に協力した。CPSは非常に大きく価値のあるプログラムであることが分かりましたが、しかし、第二次世界大戦の終わりに次ぐ十年の間にCPSの経験はまた、支援する教派の考え方や組織と同様に多くの加入者の信仰と生活を具体化しました。多くのメノナイト間の組織は、MCCやCPSのプログラムからの副産物であった。CPSのように多くのこれらのプログラムは、州や社会にもっと活発に証しし、周囲の社会に対して積極的に貢献するという新しいコミットメントを反映している。一つの例としてメノナイト医療サービスは、精神病院に勤務するCPSにおけるメノナイト派の経験から生じた。MHSは、刷新的かつ漸進的な精神病院やメノナイト派によって認められ指導されてきた精神医療プログラムの繋がりを育んでいった。

 Paul Toewsは、アナバプテストのビジョン、宗派のプログラムや組織、そしてメノナイト間の協力関係がアメリカのメノナイトのアイデンティティーの持続性を説明すると指摘する。「正確に漸進的なメノナイトがアイデンティティーとしての多くの文化的なシンボルを失ったので、彼らは新しく組織化された、思想化された、積極行動主義者や独特なメノナイト共同体の持続性を養うメノナイト間のネットワークにシンボルを置き換えていった。新しいシンボルとネットワークは、独特な共同体を脅かす『現代の麻薬』の解毒剤でした。」(p.340)


2、MBミッションと日本MB協議会についての仮説

 私はクリスチャンの宣教(幸いにも、ローレンス・ヒーバートがこの働きをしている)に関する専門的な文献の研究を少ししたことがあるので、以下に、主に個人的な経験と観察に基づく仮説を述べる。この仮説を検証するデータは、過去の文献やインタビューによって集めることができるだろうが、それは未だしていない。

A 新しいパラダイム
私が知る限り、近年の日本におけるMB宣教の働きに関するまじめな研究はロバート・リーのMBM/Sへの報告「新しい時代の宣教:MBM/S 日本の評価」(1997)しかない。この報告書の中でリーは、日本におけるMBの働きの歴史を日本の歴史的状況に関連付け、日本における他の宣教団体の同様な経験も調査している。彼の報告書は、MCの宣教学者であるウィルバート・シェンクによって開発されたタイポロジーを用いて、日本のMBが経験している変化は、宣教のパラダイムの大きな変遷の一部分だと提唱した。近年の宣教運動の最初のパラダイム(枠組み)は、西洋から他の地域へ福音と文化の両方を移植することであった。二つ目のパラダイムは、その国に固有の教会を植え付けることであった。「その国固有のものにする(indigenization)」ということは、その国の人が、その国の言語で説教を語り、彼ら自身のお金をつかって宣教することを意味した。しかしながら、教会の構成や、神学は母教会のクローンやレプリカのままであった。かくして、indegenizationは、日本の文化や社会を受け入れることができる土着化した教会を意味するわけではなかったのだ。ポスト・クリスチャンで、ポスト・モダンな世界に出現しようとしている新しいパラダイムの形は未だ明らかではないが、リーによれば、「パートナーシップ」がひとつの中核になり得るだろう。パートナーシップは、教会と宣教が分かれるのではなく、むしろ、両者を統合することを意味するだろう。新しいパラダイムは、新しい形のネットワークや協力を含んでいる。リーは、ビリーグラハム・クルセードにおける協力体制や、JEAとAGSTの組織を例にあげて、日本における新しいネットワーキングの形がどのようなものであるかを説明している。彼によれば、新しいネットワークによって、日本におけるアナバプテストでメノナイトのクリスチャンが貢献できる新しい機会が現れることを示唆している。ここでは、教団の垣根を越えて、グループ間で、話し合いや協力体制を持つことによって益を被ることができる。新しいパラダイムは、伝道によって新しい会員を増やしていくことのみならず、洗礼を受けた教会員を「保持」していくことにも目を向ける。彼らの多くは現在は教会から離れてしまっている。これは、福音とクリスチャン生活を、より信仰的に(アナバプテスト的に)理解することによってなされる。新しいパラダイムでは、教会における女性の伝統的な役割や、伝道のあたらしいアプローチが再検討され、教会と日本社会の関係(特に日本の文化や社会を形作るもとになっている天皇制の評価)も見直すことになるだろう。

 リーは日本MBと日本におけるMBM/Sで何が起ころうとしているかと、北米のMBの変化とを彼の観察の中で関係付けはしなかったが、私は、両者には多くのつながりと関係があると考えている。次のセクションで、MBの過去と現在の「地図」の関係に関する仮説を述べる。これは私がMBの宣教プログラムと日本MBの設立に関して研究したものである。

B 1本足の椅子?
 日本のMB教会を形成した宣教師のコアグループは、(カナダ人というよりはむしろ)アメリカ人の根本主義者(fundamentalist)、すなわち、カナダとアメリカのMB共同体の広がりのなかでディスペンセーション神学をもつ一派で占められていた。大部分において日本MBは、この根本主義のディスペンセーション的な理解に基づくキリスト者信仰とキリスト者生活を維持しようと務めてきた。日本MBの狭い神学的な位置は、会衆のつながりを強めることに貢献してきた。しかしながら、同時にこれによって、神学的、あるいは教会組織的に根本主義やディスペンセーション主義に合致しない多くの教会員や牧師、教会のワーカーを失うことになった。また、このため、他のメノナイトや日本の他の教派や組織との協調や超教派(ecumenical)の会議などに対して日本MBには制約があった。「神学的に三本足の椅子」であることの日本版(日本MB50周年記念誌にあるように、聖書的、伝道的、平和的)を考えるにあたって、日本MBのなかで、神学的な広がりに対してオープンであるべきことが示唆される。


C 日本社会の中心と辺境?
 日本MBは、わざと日本社会に適合しない道を選んできた。日本MBは概して神道と仏教に明示的に関係のある日本文化の多くの様相を拒否してきた。その一方、閉鎖的で階層的なグループの関係や、特に日本の学校や会社から来る重い要求など、その他の日本の社会や文化の様相は、比較的、批判はしてこなかった。社会に対する証しは、一団となって組織としてというよりはむしろ、もっぱら個人的で口先だけのものであった。

D 村から都市へ?
 MBの宣教師は、概して「タウン」型の文化(「村」型から「都市」型への遷移点にあたる)を反映している。日本MBで最初に信仰を持った者の多くは都市に最近出てきた者であり、宣教師や初期の日本MBのリーダーが提供する「タウン」型の信仰と生活に魅力を感じた。アメリカ同様、日本における第二世代、第三世代のクリスチャンはより「都市」化した人であり、近年になって都市化した両親や祖父母の回心の世代が経験したとは異なるように、信仰と生活を経験していく。年配の教会員と、若い日本MBの会員や若い牧師の間の葛藤は、回心した者と二世の世代の信仰の変化、および、村や町から都市型の文化への変化を反映しているのである。

E 境界のある考えから、中軸を持つ考え方へ?
 「境界のある(bounded)」考え方は、カテゴリー間の境界と相違点を固定化して明確にする。「境界のある」考え方においては、ある人はクリスチャンであるか無いかの二通りである。男性と女性、牧師と信徒の役割の区別ははっきりしている。グループの会員であることは、そのグループに合致していることを示し、小さな差でさえグループから排除されることが起こりえる。「中軸を持つ(centered)」考え方では、回心は、多くのステップと段階を経てのゆっくりとした複雑なプロセスであると見る。また、神学や(あれはしてはいけないなどの)行動の制約が、グループの考えに適合しているか、いないかについて、広い範囲を許容する。男性と女性は教会の中で役割を分担する。中軸(キリストと教会)に対しての誓約さえはっきりしていれば、神学的なコンセンサスや、教会の期待する各人の行動からの逸脱は許容される。「町」の人々は「境界のある」考え方をするが、「都市」の人々は「中軸を持つ」考え方へと動いていく。キリスト者としての信仰と生活に関して、日本MBは、境界のある考え方から中軸を持つ考え方へ動いているようだ。(例:女性により開かれたリーダーシップ、パートタイムやセルフサポート牧師の許容、クリスチャンとノン・クリスチャンの結婚、牧師会へNKKからの人を招くこと)

3、個人的な観察と提案
 
 一時的なパートタイムのボランティアとして、外国からのゲストがみなさんの共同体にかかわったわけなので、私にアドバイスを与える権利があるわけではありません。しかし、組織的には何の権力もなく、財政面でもサポートを受けていないという事実のゆえに、兄弟姉妹として私自身の経験と観察を自由に分かち合えると考えています。私の提案は、私たちが生きているパラダイムが移り変わって行こうとしている段階で、日本のMB教会が取るかもしれない形態に関するものです。

A 多様性を受け入れること
 より広い神学的、倫理的、また、組織的な多様性を受け入れながらも、ある程度の一致を保つ道を探していくべきである。日本MB教団の「鼎の腰掛け(3本足の椅子)」、すなわち、「平和的、伝道的、平和的」の意味をはっきりさせ、共に保っていくためには、プライオリティの相違や、緊張関係、論争が起こってくるであろうことを認識しておくべきである。これとは異なるの神学的な方向性と組織への関与が、日本MB教団の牧師や会衆のなかにあることを承知しておくべきである(たとえば、教会成長論、ペンテコステ派的な考え、しるしと奇跡について、セルグループ運動について、ケズイック的な敬虔主義、NKKを含むエキュメニカル的な協力などである)。そして、互いの恵みとなり、多様性をつなぎとめる接着剤的な役割を果たす共同のプログラム、勉強会や、教会員の公開討論の場(フォーラム)をつくっていこうとするべきである。より神学的に、組織的に縛りのない方向に進み、むしろ、キリストを中心に据えること、MBとアナバプティズムの歴史を共有すること、そして、ワーシップや学習会や伝道、礼拝、牧会ケアなどの共同の催しを中心に据えようとすべきである。

B もっと預言的であるべし
 我々を取り囲む日本の文化と社会との関係について、より預言的で創造的に考え、行動しようとするべきである。日本のグループの閉鎖性や階層制、男性と女性の間の大きな溝、日本の学校や会社の大きな要求など、日本社会の様相を批判無しに受け入れてしまわないように留意すべきである。或る日本人クリスチャンの先達(例えば、内村鑑三のような人)のように、日本の歴史や文化における神道や仏教、儒教の影響の悪い面だけではなく良い面も認識しようと務めるべきである。オルタナティブスクール(従来の学校とは異なり、自由な教育理念に基づいて運営される学校)や、相互扶助のプログラム、社会奉仕、国家への証などの面において、日本MBの内部や、また、JEAや他のメノナイトなど他のキリスト教の団体と、今まで以上に協力し合えるように用意できている必要がある。

C 組織の再編
 日本メノナイトブレザレンJMBCの委員会と協議会を行うにあたって、より効率的で時間をかけない方法を探すべきである。ゆきすぎた委員会活動は、地方教会の働きから、過分の時間とお金を取り上げてしまう可能性が高い。他の国同様、日本においても、パーキンソンの法則(仕事は、常に、使える時間を埋め尽くすまで広がる)があてはまるように見受けられるので、会議をへらすべきである。北米では、ジェネラルカンファレンスは3年に1度、ナショナルカンファレンスは2年に1度開かれ、地方の会議は毎年開かれる。そして、多くの委員会は年に4回もたれる。距離が遠いことと、あまり会議の頻度が多くないことのため、会議(協議会)は普通数日間もたれる。会議に費やできる時間が減らされているため、会議の時間を効率的に用いるように優先付けが重要になる。地方教会レベル、教団レベルの両方において、有給のワーカー、あるいは、ボランティアによる「スタッフ」として、女性や、定年後の方々、パートタイムとして雇うメンバーを増やす可能性を検討しなさい。教団レベルから地方教会のネットワークのレベルにいくつかの仕事を移すことによって、ワーシップやフェローシップ、教団の「教育、伝道、礼拝」の活動において、地方の会衆・教会が相互にサポートできる方法を見出しなさい。地方教会がどれくらいの時間、お金を教団の働きに奉げるべきかについては、「十分の一」をガイドラインとして用いることを考えなさい(例:牧師の週に50時間の牧会活動の10%にあたる週に5時間を協議会の活動にあてる)。

D 信者の教育
 日本の他の教団同様、MBにおいても、日曜学校のプログラムは衰えてきているようだ。また、成人クリスチャン教育のプログラムは弱いか、あるいは、存在していない。また、神学校の入学者数は少ない。子供と大人の両方についてクリスチャン教育を施す、新しく、より効率的な方法を作り出そうとするべきである。おそらく、日本の他のMB(例:MBBS)やメノナイト(例:AMBS)、他の日本の神学校(例:神戸ルーテル神学校)、アジアの神学校(例:AGST)との協力などを通して、牧会的な備えを強化する方法を探求すべきである。

E 奉仕と証しのバランス
 アナバプテストの伝統にある他の教団同様、MBは歴史的に、言葉による福音の証し(伝道と宣教)と、困窮する教会員と社会に対しての実際の社会奉仕事業とを統合しようとする試みをしてきた。北米においては、この「御言葉と行動を共に携えて行こう」とする願望は、MBの宣教の働きと奉仕の働きを一つの委員会(MB Missions and Services)に統合する(1966年)ことに反映されている。これはMBMSIの活動を3つの分野、すなわち、福音の宣教、困窮する人々にサービスを提供すること、教会リーダーを養成すること、に集中することにつながっている。日本MBがMCCの奉仕事業プログラムから成長して来たにもかかわらず、日本MBの資金は、困窮する教会員、日本の人々、世界の人々に対する奉仕事業のプログラムを無視して、主に伝道に用いられてきた。個人によって、あるいは、地方教会によってなされ得る隣人に対する奉仕活動もあるが、他の教会との協力や既存の日本の奉仕団体、「キリストの名前によって」人の必要を満たすMCCのような奉仕団体を通してのみ達成されるような人の必要も多くある。

F 伝道と教会生活を統合する
 日本MB教会は、特別な伝道プログラムに依存しているように見受けられる。通常それらは、海外からの宣教師、短期の英語教師、特別コンサート、また、ゲストとして招いた著名人、歌手や講師によってなされる。外人やゲストによってなされる「特別」な伝道プログラムを通してもそうであるのであるが、むしろ、教会の共同体の日常活動の喜びや愛を通して福音がノンクリスチャンにうまく伝わるように考えなさい。


結論
 世界中の他のクリスチャン共同体と同様、日本MBと北米MBは大きな変革を経験しようとしている。変化の急な動きは、将来も続くことだろう。だれも将来の日本、北米、他の地域におけるMBやキリストのからだの他の部分(他の教団)がどのような形になって行くのかを予言することはできない。少し前の北米MBジェネラルカンファレンスのエグゼクティブ・セクレタリーであったマービン・ヘインは、2004年3月19日の個人的な手紙の中で以下のように言っている。「10年のうちに北米協議会ですら死んでしまうかもしれないと予想した。日本MBに北米は日本の助けが必要であると伝えてくれ。」幸い、キリストのからだをなす教会間の相互のフェローシップと相互扶助の仕組みがある。例えば、国際的なMB共同体、他のメノナイト系のもの、福音的な教会間のもの、などである。私の意見では、私たちがMB教会の将来について希望を持てるひとつの理由はICOMBや、メノナイト世界協議会があるからである。神の国の福音の中で、個々のユニークさを実現して行こうとするのに際して、以上述べたICOMB等や、同様の交わりの共同体を通して、私たちは、学び、協調し、互いに対面することができるのである。
 
 私の家族と私自身は日本MBに感謝しています。というのは、みんさんの教会で交わりや礼拝をなし、教会に仕えることを通して私たちの生涯を豊かにしてくれたからです。みなさんの歓迎を感謝します。みなさんが、急激に変っていこうとしている社会の中で、みなさん自身の信仰の巡礼を続けていくのを、興味を持ってフォローして行こうと思います。

《情報源》
私が用いたほとんどの情報源に関する図書目録情報は、文中に記した。更に、MB、他のメノナイト、宗教の社会学についての文献がほしいときは、連絡してください。