私の旅日記1(スピリチャル・ジャーニー)

1、MBの北米宣教師からの影響
 我が霊性の故郷は今も信じ続けている古き良き昔のアメリカである。私は日本MB教団の初期の牧師の家庭に生まれた。幼児期に瞼を開いたときにはすでに北米宣教師の上品で天国を思わせるような笑顔があり、まだ幼い耳なのに、北米ゴスペルソング特有の宣教師夫人の半音階ピアノ奏法の賛美が天国のイメージを私の脳裏に刻んでくれていた。それはピューリタニズムとか、アナバプティズムとか、ファンダメンタズムとか、何か硬そうなイメージにくっついてき美しい何かであった。そんな雰囲気と厳格な生活様式がいつも同居した幼少時代であった。教団初期の神学生であった両親は北米宣教師の教育法を見よう見まねで模倣し、例えばテレビ視聴の制限、ピューリタン的な礼拝教育、厳格な家庭礼拝教育、当然のごとく映画も小説も歌謡曲も禁止されていた。確かに北米宣教師にはあのライフスタイルがフィットしていたが、日本MBの開拓期において、父が試着している北米の服装は何ともぎこちないものであったと思っている。しかし、私はこのことによって、北米からの「心の天国」を信じ続けることができたのである。もしかすると、それは白人宣教師の眼の奥に見える美しいカンザスヒルズボロの田園風景だったのかもしれない。最近、この地を訪れた牧師が、カンザスのメノナイト村の風景はどことなくオランダのウィットマルサム(メノシモンズの生家のある村)の風景の模倣ではないかと思うと言われた言葉を私は聞き逃さなかった。