私の旅日記2(スピリチャル・ジャーニー)

2、大挙伝道の影響
 私にとって、宣教師の影響と大衆伝道の影響はかなり重なるところがある。メノナイトの流れはユニークな面を持っているが、そうであっても、やはり宣教師も大衆伝道も同じアメリカからやってきたものであった。私が生まれたのは1959年、日本宣教百周年の年で、この年に大阪地域で日本基督教団も含めて超教派の初めての大挙伝道、ワールドビジョン総裁のボブ・ピアス博士のクリスチャン・クルセードが大阪で開催された。このとき、父は神学生で、クルセードで書籍販売の奉仕をしていた。それから11年後、私が小学校6年生のとき、父は今度は牧師として、「大阪福音クルセード」に全力投球した。講師の本田弘慈師は、毎月数日間、家の近所の旅館に泊まられた。私もこの一年間続いた大会で、救いの決心をし、自分から進んで、恵みの御座に出ていった。しかし、実際は私が生まれた頃から大阪福音クルセードまでの10年間ずっと、毎月のように中之島公会堂で福音放送ラレーを主催し、街でちらしを配り、夜の街のネオンを見ながらバンの後ろで寝てきたのである。であるから私の周辺はいつも大挙伝道のムードが自然な形で漂っていた。私にとって、大衆伝道者の先生方は憧れの存在であり、いつも身近におられた方々であった。本田弘慈先生の後ろを弟と一緒に商店街までつけていき、途中で先生に見つかってしまい、近くの店でお菓子をいっぱい買ってもらったのは懐かしい思い出である。このようなちょっとしたことが、私の救霊のイメージとしっかりと結びついているのである。私が成人して後に出会った本田弘慈先生はとても小さい方だった。子供の頃の限りなく大きかったイメージとのギャップに驚いてしまった。ビリーグラハムもお歳をとられた。ああ一時代が終わろうとしているという感じである。私の心の中の大挙伝道は一体どこに行こうとしているのか。また大挙伝道の協力から体制固めをしてきた福音派体制はこれからどう繋がっていくのであろうか。