聖書的平和主義への渇望5

1節 MBの誕生
 さて、このようなユニークなメノナイト派の流れのなかで、どのようにMB(メノナイトブレザレン)は誕生したのであろうか。実は、彼らは普通のメノナイトとして過酷な国教会からの迫害から生き延びるために、脱出の連続の結果、ウクライナの荒野に到達していた。彼らはそこを開拓地とし、新コロニーを形成したのであったが、そのコロニーのなかで、1860年1月6日、MB教会は産声をあげたのである。MB誕生の発端はコロニー内における信仰復興(リバイバル)運動であった。信仰復興運動により、彼らのなかから「兄弟たち」と呼ばれる群れが登場し、ある時点で彼らが当時のメノナイト教会(コロニー)から分離したことによって、ようやくMBが歴史のなかに登場したのである。

 このMBリバイバル運動は、実はメノナイト内部の人間から起こった運動ではなかった。この運動は、時代とともに形式化・律法化していたメノナイトコロニーのなかで、ドイツ敬虔主義リバイバリストのエドワード・ウエスト(1959年没)のような人物が訪れてきてくれたことによって起こったのである。ですからMBは、当初から、現代の福音派の源流とも言える「ドイツ敬虔主義」の影響を他教派と同様に強く受け、ドイツ敬虔主義特有の目覚しい信仰復興運動も経験し、その後、北米に渡った後は、根本主義から現代福音主義の影響下で成長し、今や全世界に拡大しつつある宣教熱心な教派の一つになっている。今日までMB教会が福音主義教会意識を持ち続けているのはその理由による。おそらく私自身もこのドイツ敬虔主義という故郷を通らなければ、その奥にあるであろう「歴史的平和教会」という故郷に到達できないであろう。敬虔主義は「歴史的平和教会」であるMBにとってもこの上なき第二の故郷であった。