1211、社会に近づくベクトルと個人に近づくベクトルの両方に引っ張られている自分

社会に近づくベクトルだけに従うと、自分は意図しなくても、右の立場とか左の立場とか画一的な政治的な考え方に翻弄されてしまうことになる。反対に、個人に近づくベクトルだけに従うと、自分の信仰を押し殺すような、二元化が生じてしまう。まずはこの間で揺れつつも、保たれていく必要があるのだろう。社会近づくベクトルと個人に近づくベクトルを保つ現場は共同体があるが、共同体も、小さな共同体と大きな共同体は全然違う。小さな共同体は個人に近いが、大きな共同体は社会に近い。大きな共同体を維持するためにはどうしても包括主義しかない。そして優先順序のルールとセンタードの発想でまとめていくしかない。あとは実は大きくなったが、私たちは大きな共同体ではないんだよと大きな共同体意識を持たない大きな共同体を作るしかない。もう一つは大きな共同体よりも小さな共同体のほうが本物だという意識を持ってもらって、大きな共同体は小さな共同体を包括するが、小さな共同こそが本物だという意識で治めていくしかない。そのようななかで、教会は二つのベクトルの間で揺れているという意識だけはしっかりと持っておく必要があると思う。