批評を掘り下げよう

1020、なぜミッションスクールはそこまでして、基督教嫌いを作るの?

人は基本的に点数をつけられたくない。でも学校だから点数がある。人は体制に対して反抗心を持つ。でも学校は当然ながら秩序を保つために聖書の箇所を用いる。若い時は一方的に説得されたくない。でも学校は一方的に説得しようとして正論を発する。もしミッ…

1016、体系的説教で成功すると、同じ体系で説教者は批評されるだろう

944、批評・批判は提示の仕方に意味があり、そこにかなり依存していく

943、批評を教えて批評され、批判を教えて批判されていくように思う

一度批評学の世界に足を踏み入れたら、途中でやめてはならないし、やめれなくなるものである。批評されることを覚悟して生きていかざるを得ない。批評学とは批評されることが運命なのである。それはそれとして、別の世界もある。

942、自己批判が大切。でも自己批判の物差しで他者批判が始まるかも

834、関係に関する批評学の問題点。関係論を存在論としてしまうこと

833、関係に関する批評学の問題点。自分を含む関係が主観となること

832、関係に関する批評学の問題点。自分を含む関係を批評できぬこと

706、「我と汝」の関係で、我批評も汝批評も限度を超えてできないはず

704、批評学の起源は「善悪を知る木の実」を食べたことにあると思う。 

703、批評学は、批評する我々人間は一体誰なのか、に行き着くと思う

702、牧師は自己批評を怠ってはならないが、問題はその物差しである

701、何が何でも「人格関係ありき」である。その上で対話的に批評する

700、私は20代、「罪意識の構造」(トゥルニエ)で自己批評し、苦しんだ

699、「人格」「人格関係」に関する批評学は必ずどこかで座礁すると思う

698、「我と汝」「我とそれ」の区別を認識した後の批評学なら安心ですが

697、批評(批判)とは何?、一度は考え抜かないとなあ、牧師として・・

ジョン・M・ドレッシャー語録「私が学んできたこと」16

心痛むことであるが、自分に対する批判に耳を傾ける必要がある。そうすることで自分自身について何かを学ぶことができる。