牧師はやっぱり恵まれているなあ

 先日行なわれた日本伝道会議の中のシンポジウム「日本文化と宣教」で、通過儀礼の話しを聞いてから、通過儀礼について興味を持ち続けています。「牧師はやっぱり恵まれているなあ」の意味は、人の人生の最初から最後までに関わる可能性を持っているのが牧師だからです。赤ちゃんが生まれたと聞くと祝福に行き、献児式も執り行い、ノンクリスチャンには信仰告白を勧め、信仰を持てば洗礼式もし、好きな人が見つかったと聞くと婚約式もしてあげ、結婚カウンセリングもし、もちろん結婚式の司式もし、家を建てると聞けば起工式をし、他にも沢山の祝福式を行ないます。また召される直前であっても、病院に行くことができ(お坊さんは難しいでしょ)、イエス様と永遠の生命を伝えます。天に召された後は納骨式に至るまでのあらゆる式を執り行います。その後も本人と家族の意志に応じて記念会をしていくわけです。あるいは召天者記念礼拝、墓前礼拝は毎年行ないます。もしかすると、あらゆる共同体が崩壊しつつある現代日本で、一人一人と寄り添って「通過儀礼」のすべてを行なえるのは牧師だけじゃないかなと思ったりします。自分の臨終まで他者の臨終を知らない人が増える現代社会で、牧師はやっぱり恵まれてるなあ!!