愛国心について

 水草修治牧師がクリスチャンの学生たちの修養会で語った時のメモをプログに載せておられますが、「愛国心」について、考えさせられましたので、そのまま載せます。

 「愛国心とは、国民国家が成立してはじめて要請されるものであるから、世界の歴史では出来上がってわずか200年ほどしか経っていない特異な歴史現象である。フランス革命以前、国土は国王個人の財産であって、民のものではなかったから、愛国心などあるわけがない。国境も固定しておらず、王の領土というものは自分が先祖から受け継いだものと、嫁の持参した領土と、戦争によって獲得した領土この三者をあわせたものだった。だから、王が代わったり、結婚したり、戦争したりするたびに、国境線は変動したので、その土地の住民が愛国心など持ちえるわけもないし、持つ必要もなかった。

 それに、あの時代、戦争は王と、王と契約によって結ばれた領主階級の人々の仕事だった。王と領主たちの領土的野心を満たすために、戦争がたびたび行われたが、領主階級以上の人々が戦争屋であったから、兵員はかぎられていたし、庶民は直接には戦争とは関係なかった。戦争のような血なまぐさい仕事は領主や王たちがすればよいことで、庶民は領主の荘園に属していて、田畑を耕して年貢を領主に納めていればよかったのである。

 ところが、フランス革命は国王の首をはね、領主階級も排斥した。そのとき、社会の構造が基本的に変わった。庶民はそれまで、それぞれ領主の荘園に属していたから、国家意識は持ち得なかったが、領主階級が消滅すると、中央政府国民主権のたてまえで、直接に結びつくことになった。以前は国王が何かを決めても、それぞれの領主がそれをどう受け止めるか次第だったから、国王が何を決めようと国全体が動き出すことは、それほどすみやかではなかった。しかし、領主階級が消滅して、中央政府と庶民が直結すると、ここに国民国家が成立したわけである。中央政府の動きが、国全体の動きと直結することになった。というわけで、近代国民国家全体主義国家は親和性が強いのである。煽動の技術に長けた野心的な政治家が出てくると、近代国民国家はかんたんに全体主義化する。

 革命の情熱に燃え上がって、王をギロチンにかけ、領主階級がいなくなると、中央政府が困ったのは、戦争屋がいなくなってしまったことだった。折から、フランス革命のような革命がおきれば自分の首も危ないことに気づいたヨーロッパ諸国の国王たちは、反革命軍を続々とフランスに送り込んできた。そこで、フランスでは庶民が兵隊にならねばならなくなった。ここに国民軍が成立する。国民軍とセットでスタートしたのは、国民教育である。軍隊が集団として機能するためには、軍事教練が必要だった。もっとも基本的なことは、隊列を組んで行進することだった。それまで庶民は、好き勝手に歩いていた。

 国民国家が成立して後の戦争は、規模が拡大し、被害も甚大なものとなる。領主階級が戦争をやっていた時代は兵員に限りがあったが、国民をみな兵士として徴集できるのだから、いわば無数に兵は用意され、戦争は際限なく継続されるようになった。近代になって「総力戦」が行われるようになったのは、国民国家であるからである。

 この東海の列島は、明治以降、日本国という意識が生じ、国民国家が成立する。幕藩体制下では、「日本国民」という意識はなかった。あったのは長州人、薩摩人、摂津人といった意識のみ。当然、愛国心などなかったし、無用だった。庶民は田畑を耕して年貢を納めたが、戦争をする必要はなかった。

 しかし、倒幕、廃藩置県がなされ、国民は中央政府と直結される。国民軍が編成される。国定教科書で国民教育が進められる。小学校で軍事教練の基本として、オイチニ・オイチニと集団行進の軍事教練がされるようになった。日本人は右足と左手、左足と右手という組み合わせで前に出して歩くのが正しいのだと叩き込まれるようになったらしい。そして、国民軍編成のために国民教育が始まったのであるから、当然、国民教育の精神的目標は愛国心の醸成だった。こういうわけで、歴史的に言って「祖国」「愛国心」は、国民軍と切っても切れない関係にある。日本では国民国家のスタートからまだ150年もたってはいない。そして、現代の世界的傾向は国民国家の枠が壊れつつあるということだ。企業が一定の国に属さない、多国籍化が進んでいるからだ。今後、どんな方向にこの世界は向かうのだろうか?」(つづく)