個が先か関係が先か(2)

三位一体の中に、個が4つあり、関係が4つある。
つまり、父、子、聖霊、全体の4つ、
父子間、父聖霊間、子と聖霊間、父子聖霊間の4つである。
キリスト教は4つの個を大切にしてきたと思う。
しかし、関係の4つも大切だと思う。
ただ、我々はこれ以上、入り込むことができない。
どっちが先だとか、どっちが重要だとか、入り込んではならないのである。

 先日、東海塾の河野勇一師が福音聖書神学校で講義をしてくださったが、河野勇一師は、福音聖書神学校の前身と言うか、分裂前の大阪聖書神学校の学生であられた。以前の大阪聖書神学校は、バプテスト宣教団と日本バプテスト教会連合と日本メノナイトブレザレンが合同で創立した神学校であった。今日まで、自由教会系の神学校として分裂しなかったら、どんなに発展していただろうかと思う。しかし残念ながらこの神学校は長く続かなかった。この神学校の在校生であった河野勇一師がこの神学校校舎で、「救いのスキーマ」というアイデアを発見されたのだそうだ。福音聖書神学校の前身の大阪聖書神学校で、「救いのスキーマ」を見いだされたことを、同じ校舎を使用しているものとして光栄に思う。私にとって「救いのスキーマ」は、例えば、個が先か、関係が先か、の議論のためにも大きな助けとなった。つまり聖書の救いの構造を見るときに、三つの視点で見るのが「救いのスキーマ」。三つのうちの一つが正しいというのではなく、三つとも正しいということである。つまり、聖書の救いは、「関係概念」と「実体概念」と「目的概念」の三つの視点で書かれてあると言うのである。私は反射的に、この三つの視点を三位一体論に結びづけることができると思った。「一」に行き過ぎた「絶対主義」を重ね合わせ、「多」に相対主義を重ね合わせる人たちが増えた時代に、「三」に答えがある。きっとある。