二・三人の神学(按手礼論文14)

発行日2001年4月22日(今回、プログ上で改訂)

第四部 シャロームの本質

第2章 二者関係のある共同体

 「神の内なるシャローム」は、その内に「二者関係の完全な平和がある共同体」であった。つまり、「父と子の二者関係が完全平和がある共同体」であり、「子と聖霊の二者関係が完全平和がある共同体」であり、「父と聖霊の二者関係が完全平和がある共同体」であった。しかし、被造物である人間にはこのような二者関係の完全平和の共同体などあり得ない。完全平和を持たれたのは三位一体なるお方だけである。

 しかし感謝なことに、私たちは堕落して不完全なものにされたにも関わらず、二者関係という関係だけは残され続けている。不完全な二者関係ではあっても、現に持っているのである。我々はそのことを体験的に夫婦の二者関係の中にそれを見、体験的に親子の二者関係の中にそれを見、友人同士の二者関係の中にそれを見、教師と生徒の二者関係の中にそれを見てきたのである。また我々は人類創世の初めにアダムとエバの夫婦の二者関係、カインとアベルの兄弟同士の二者関係の平和が神から離れたときから破綻したことを聖書により知らされている。

 私たちが知っている不完全な二者関係は、相手を自己の願望で縛る二者関係であった。親の願望で子供が全くコントロールされていないことはあり得ないし、反対に子の願望で親が全くコントロールされていないということもあり得ない。不完全なる人間の二者関係は、コントロールとコントロールの戦いであった。人はその現実を知った上で、良い二者関係で生きるための技術を身につけようとするが、それは対立を認めた上での対策であった。例えば、契約概念も、対立を認めた上での対策であった。「ギブ・アンド・テイク」も二者関係の対立を認めた上での対策であった。あらゆる知的な平和交渉技術も二者関係の対立を認めた上での対策であった。

 夫婦関係の二者関係も同様である。夫婦関係の間を円滑にするための技術は培われてきたとしても、根本的な解決に至る技術など存在しない。この筋で有名なキリスト教の心理学者であるポール・トゥルニエであっても、晩年近く、奥様から「理解されてなかった」との思いを打ち明けられたことで、次のステップに進まれたようである。