「今日のキリスト教思想は、しばしば再洗礼派的な思想に屈してしまっている」ファン・リューラー

 米紙、ウォール・ストリート・ジャーナルで、西ヨーロッパでの教会閉鎖についての記事が載せられていたそうだ。そのなかで、オランダのカトリック教会は今後10年間で、1600教会の三分の二が閉鎖、プロテスタントは4年以内に700か所が閉鎖なのだそうだ。私にとって、オランダはメノナイトの最初の方、メノシモンズ生誕地としての(1496年)のオランダであるが、オランダは、メノシモンズとは正反対の立場であるプロテスタント神学を築きあげたオランダ改革派教会のオランダでもある。あまりにも完成度の高い神学を築き上げたがゆえに、正反対の対抗神学も生まれ育っていったオランダでもあった。例えば、あの聖潔派の神学、あのアルメニウス主義のアルメニウスもオランダであった。卓越した神学の国、オランダが、現在無神論化の最先端を走っているのが悲しい。

 そんなことを思いながら、同じくオランダ生まれ(1908年)の改革派神学者ファン・リューラーの「伝道と文化の神学」を読み直した。私は以前、ファン・リューラーを読んで、ファン・リューラーとは正反対の立場であることで自分の立場が理解でき、うれしかったことを思い起こす。彼の言葉はこうである。「今日のキリスト教思想は、しばしば再洗礼派的な思想(アナバプティズム)に屈してしまっている。もし法と愛や、教会と国家の間の止揚しがたい対立を感じなければならないと考えるのであれば、そうである。また、もし再生において新しい命が人間の中に入れられ、そしてそこから固有のキリスト教的文化が成長すると考えるならば、そうである。その場合には、ここで支配的なのは常に分離という根本思想である。」私はこの文章を読みながら、そこまで言われると、私の場合は、再生において新しい命が人間の中に入れられ、そしてそこから固有のキリスト教的文化が成長すると信じているなあ、と思ったものである。ただグノーシス主義や二元論の危険性はわかっているつもりだ。