小沢幹事長の「キリスト教は排他的」発言に思う

 やっぱり触れておく必要があるだろうなあと思って短く触れたいと思います。キリスト教はイエス様の愛の宗教です。その愛は本当に深いものです。その愛の極みとして「あなたの敵を愛せよ」があります。なかなかできない命令ですが、それがイエスさまの御心でした。ですから初代教会のクリスチャンたちは平和主義的に生きようとした人たちで、基本的には、今のクリスチャンたちも「愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」の実を結ばせることを願っている人たちです。

 だったら小沢幹事長は、なんで「キリスト教は排他的」発言をしたのでしょうか。恐らく彼はキリスト教圏とイスラム教圏の対立構造の外に日本があり、日本ほど寛容な国はないという一面的な考えを政治的に利用したのでしょう。確かに、先日の戦争で、ブッシュ大統領の発言と行動は、非寛容的であり、排他的に映りました。一信徒である彼から、その点に関して、イエスさまの姿は全然見えなかった。

 西洋には他の文化と合わさった「抜け殻のキリスト教」が一杯あります。ですからむしろイエスキリストが、西洋、東洋、国家、文化、民族、宗教を超えたお方であることを伝えたい気持ちで一杯です。ある過激なことをよく言われる伝道者が好んで言います。「キリスト教はリリジョン(宗教)じゃなく、リレーションシップ(関係)ですよ」でも私はこの言葉が好きです。