毎年、家の前の木蓮の芽を見つけると、星野富弘さんのこの詩が大好きだったことを思い出します。木蓮は四季折々顔を変えます。白い花だけの時、それが色あせて下に落ちた時はあまり奇麗ではありません。次に緑の葉っぱが一杯茂る時が来ます。そして秋になるとその緑の葉っぱが落ち葉となり、木枯らしによって狭い庭にたまっていくのです。なぜか自分の子供が小さな頃、(彼ら、何かわからないけど面白かったのでしょう)この詩を声を合わせて朗読していました。この詩、今も私の心に快く響いてきます。
きりっとしているのは
最初の頃だけ
あとは色あせ うなだれ
風の吹くまま
けれど 木蓮がすき
どことなく私の心に似て
それが 青空の中に
咲いている