三位一体教No.3(連続物ですので面白くない方は読み飛ばして・・・)

              三位一体?

 さて早速ですが、皆さんは、聖書(バイブル)のなかに、一人の神様ではなく、多神教のように、三人の神様が登場してくることをご存知でしょうか。つまり、どうも「一神教」らしからぬ情報が聖書のなかに最初からあったことをご存知でしょうか。そうです。聖書を読めば、確かに神らしきお方が三人登場しているのです。

 だったら、その三人の神とは、誰(1)と誰(2)と誰(3)かと言うことになりますが、まず一人目の神さまは、「お父さまであられる神さま」です。つまり旧約聖書の初めに、「はじめに神が天と地を造られた」と書かれているように、その神さまは、世界の創造者なる神さまで、よくキリスト教の信者さんたちがお祈りをするときに「天にまします我らの父よ!」と呼びかけている、あのお父様であられる神さまのことです。クリスチャンはよくこの神のことを全知全能の神さまと言ったり、「創造主」「造り主」とか言ったりします。

 もう1人の神さまは、その息子さんのことで、全人類の救いのために2000年前に天から地上に遣わされ(クリスマス)、最後に十字架で死なれ(パッション)、復活された「イエスさま」で、キリスト教の信者さんたちが「救い主」とか「メシア」とか言っているお方のことです。また信じるものの心の中に住んでくださっている「イエスさま」というふうに言っています。

 そしてもう1人の神さまは「聖霊なる神さま」です。この「聖霊なる神さま」は救い主イエスさまが十字架に架かられ、3日の後にお墓のなかから復活され、その後、多くの弟子たちの眼前で天国に帰っていかれた10日後、イエスさまの代わりのお方として、イエスさまを信じる群れのなかに、降りて来てくださった神さまでいらっしゃいます。

 三人の神さまがこのように紹介されると、何かおかしいと思いませんか。これってもしかすると、一神教(神は一人と考える宗教)ではなく多神教(神は沢山いると考える宗教)ではありませんか? ・・・・と。しかし、面白いことに、聖書に書かれている神さまは、多神教の神さまではなく、一神教の神さまということになっています。なぜかというと、確かに聖書には三人の神さまが登場するわけですが、聖書全体としては、「神はひとりである」と自己紹介されているからです。実際、聖書を読むキリスト教の信者さんたちは、皆さん自然に「おひとりの神からの啓示(お告げ)」として読んでいるのです。このあたりのことをどう説明していくかということのなかで、「三位一体」(さんみいったい)という不思議な言葉が登場してくるのです。

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