主は与え主は取られる(霊的旅日記No.4)

 頭脳が多く与えられたら、その分、取られた時のショックは大きい。美貌が与えられたら、その分、取られた時のショックは大きい。豊かな髪の毛が与えられたら、その分、取られる時のショックは大きい。体力が多く与えられたら、その分、取られた時のショックは大きい。地位名誉が多く与えられたら、その分、取られた時のショックは大きい。ヨブは「主は与え、主は取られる、主の御名はほむべきかな」と言う。確かに喪失経験こそ、クリスチャン人生の勝負どころだろう。喪失経験のことを試練というのだろう。私は51歳、祖母は102歳なのでちょうど半分の年齢だと言い続けてきた。でも51歳の今、少しの喪失経験も身にしみる。人生、与えられる時があり、取られる時があり、また与えられる時があり、また取られる時がある。同じ取られるならば喜んで、感謝して取られるようと聖書は教えてくれるのだけれども、果たして自分はどうだろうか、と考えることが多くなった。そうだ、私の恩師はご自分のことについては、50歳を過ぎたら、おまけの人生だとよく言われていた。ということは、102歳の祖母は52年も余りの人生を生きたということか・・・。