人格関係について9・・連続物(現在、私の一番の関心事なんです)

 三つ目の理由は、二つ目の理由と関連していますが、こうゆうことです。「存在」は、対象化、客観化できるのですが、「関係」は、対象化、客観化しにくいという事実がある限りなかなか話しは進まないということです。それがゆえに、「関係論」というものは、どの時代においても、その時代の最も非理性的な神秘主義と同類だとみなされ、神学の対象になったことは少なく、なったとしても危ういものでした。

 しかし、実際には、「関係論」は非理性的な神秘主義と同類ではありません。なぜなら神秘主義(幅広い概念)の多くは、個人の主観に閉じ込められたものですが、「人格関係性」は、個人の主観の域を超えるからです。つまり「関係論」は、必ず一人の主観ではなく、二人か三人の異なる主観を繋ぐものだからです。ですから、その意味で、「人格関係性」は、個人主義的・神秘主義的主観世界とも、理性主義的客観世界とも異なる別の領域だと言えましょう。二者関係の証言者は確かに二者存在するのです。三者関係の証言者は確かに三者存在するのです。

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