ipadで、どうなるのでしょうか。

 アメリカのアップル社の「ipad」がアメリカで発売されました。キリスト教も影響を受けるんでしょうか。本日、届いたクリスチャン新聞を読むと、「ゾンダーバン社がキリスト教書千点を『ipad』に」との見出しが目に飛び込んできました。ああ将来は「ipad」でクリスチャン新聞を読み、「ipad」で説教をし、「ipad」を手にもって聖書を開き、「ipad」を手にもって、讃美歌、聖歌を歌い、「ipad」一つで、なんでもできる時代になるのでしょうね。そして「今日、教科書を忘れました」なんて言う必要はなく、「まだタッチパネルに触れていません」とか、「充電ができていません」と言う忘れ物が増えることでしょう。個人的には、もしかすると、「ipad」が安く購入できるようになり、私の机の上は「ipad」ばかりが山積みになるかもしれません。えっとどの「ipad」が聖書だったっけ、どの「ipad」が注解書だったっけ。ちょっと思ったことは、どんなに便利になっても、私は机の上にいろいろ広げる習慣は変わらないだろうなあ。「ipad」がいくら優れものでも、私にできることは限られている、ということ。でもアメリカのキリスト教会は凄い、ゾンダーバン一つの出版社だけでもキリスト教関係書籍千点も「ipad」で見れるんですね。出版社ってこれからやっていけるのかなあ。