家の教会を勉強するために

 明日、私は関東方面に数人を家の教会の研修のために、車で送り届けてトンボ帰りで帰ってきます。家の教会? 私の所属する武庫川キリスト教会は、二つの家庭が家を開放してくださり、そこで宣教師が伝道し、その二つの家庭集会が母体となって、一つの教会堂を作り、今の武庫川キリスト教会になりました。1965年のことでした。つまり二つの家庭が喜んで自発的に自分の家を開放して、人々に来ていただいたのです。当時は宣教師のインパクトも強く、背の高くてすばらしい宣教師が面白い話をしてくださるよと言って、熱心に人々を集め、集まってきたものです。でもいつしか会堂ができると、家庭集会に力を入れるよりも教会堂を中心に動くようになりました。きっとこれが普通の流れなのでしょう。

 しかし、聖書の初代教会を眺めていると、迫害時代で教会堂を建てることができない時代でしたので、長い間、家の教会で礼拝がなされていたようです。例えば、ピリピの教会(使徒16章)はルデアと言う方の家と看守だった方の家が中心となり、沢山の家の教会ができていったのでしょう。そしてその家の教会の人々全部を合わせて、ピリピの教会ということになったのでしょう。そのようなわけで、生き生きした家の教会の像をもう一度描くために、彼らは勉強にいきました。武庫川キリスト教会は、もう昔のように目立つ宣教師はいません。でもホッとする家の交わりから生き生きした教会ができあがっていったらいいなあ。