三位一体教No.10(連続物ですので面白くない方は読み飛ばして・・・)

「三位一体教」でない合理的一神教

 どうもキリスト教だけは、他の一神教と違う意味での一神教です。そのちょっと違う一神教の感じを、まず、どうぞつかんでほしいと思います。そのちょっと違う一神教で「三位一体教」と私は言い分けたいと思います。

 まず初めに、「三位一体教」でない一神教と「三位一体教」を一応区別するために、「三位一体教」でない一神教を列挙してみましょう。まず、イスラム教という宗教はもちろん「三位一体教」ではありません。きっとイスラム教こそが、ややこしい「三位一体教」に対する、もっとも合理的でわかりやすい一神教なのかもしれません。アラーというおひとりの神は、ややこしい三位一体でなくて、おひとりの神だというのが一番わかりやすいではありませんか。イスラム教は、コーランのなかでも、三位一体なんか信じていると天罰が下るとまで言って、三位一体を攻撃していますので、もちろん、イスラム教は「三位一体教」ではありません。例えばコーランのなかには次のような文章があるので、どうぞ確認しておいてください。

 「『まことに、神こそは三の第三』(三位一体の中の一つということ)などと言う者は無信の徒。神というからにはただ独りの神しかありはせぬはず。あのようなことを言うのを止めないと、無信の徒は、やがて苦しい天罰を蒙ろうぞ。彼ら、早くアッラーの方に向きなおって、お赦しを請えばいいのに。アッラーは何でもすぐにお赦しになる情け深いお方なのに」(イスラム教の聖典コーラン「食卓の章」第77〜78節)

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