人格関係について10・・連続物(現在、私の一番の関心事なんです)

「関係論」と「存在論」を融合させる絶対的舞台としての「三位一体」

 さて、私は三位一体の存在論的命題に注目するよりも、三位一体の関係論的命題に関心を向けます。なぜなら、歴史の神学者たちは三位一体の関係論的命題に注目することなく、三位一体の存在論的命題に注目してきたからです。ですから欠落してきた、関係論的命題に注目すべきだと考えるからです。三位一体論こそが、「関係論」と「存在論」の両視点を融合させるにふさわしい「絶対的舞台」(絶対をイメージするための唯一の舞台)と考えるからです。

 つまり三位一体こそが、「『一体』という存在論」と「『三位』という存在論」から始まる「初めに存在ありき」の神学と、「位格間の関係論」から始まる「初めに関係ありき」の神学が融合する唯一の舞台だと考えるからです。その理由は、「三位一体」と言う本質的な舞台においては、位格の「存在」が時間的に先だとか、位格間の「関係」が時間的に先だとか言い得ないからです。また「存在」が「関係」よりも優位だとか、「関係」が「存在」よりも優位だと言い得ないからです。しかし、歴史の神学者の多くは「存在」が「関係」よりも優位だと信じてきたのです。

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