人格関係について12・・連続物(現在、私の一番の関心事なんです)

 またもう一人の「初めに関係ありき」の学者に、ポストリベラリズムの立場のエドワード・ファーレーを数えましょう。彼は「本来、神学というものは、関係性の学問であり、単なる認識論ではない」と述べ、アリスター・マックグラスも、エドワード・ファーレーの「関係性の学問」という視点に注目しています。

 しかし、「関係性の学問」であったとしても、三位一体なる神(三位一体の位格間の対話的人格関係に生きる神)を一つの研究対象とし、それを客体化した途端に、ブーバーの「我と汝」ではなく、ブーバーの「我とそれ」になってしまうということです。このことについても、アリスター・マックグラスは、ブーバーのアプローチをこう説明しています。

 「ブーバーのアプローチが主張しているのは、神を1つの概念や小綺麗な概念の定式に引き下ろせないということである。ブーバーによれば「それ」だけが、そのような仕方で扱えるのである。ブーバーにとって、神は「本質的に、決して『それ』になり得ない『汝』である。つまり、神はいかなる客体化の試みをも逃れるのであり、あらゆる記述を超越する存在なのである。神学は神の現臨を承認し、それと取り込むことを学ばなければならない。そして、その現臨が小綺麗な内容によって満たされた入れ物に引き下ろせないことを認めなければならない。」

 マックグラスは「神学は神の現臨を承認し、それと取り込むことを学ばなければならない。」と述べますが、彼の言葉を借りれば、「神学は神のなかにおける『三位一体の位格間の対話的人格関係性(我と汝)』を承認し、それを取り込むことを学ばなければならない。」と述べたいと思います。

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