ここまで、「存在」と「関係」という二つの観点から述べてきましたが、もう1つの「目的」という観点を落とすわけにはいきません。まとめると次の三つの観点です。
三位一体間関係に本質あり
三位一体の存在に本質あり
三位一体の目的に本質あり
しかしここでは「存在」と「関係」に関心を向けましょう。「存在」と「関係」の二つの観点だけでも、日本における、一神教の間違った非寛容イメージを払拭できるように思うのです。キリスト教は、これからも「一」の「存在論」について、感動を持って語ることをやめませんが、同時に「二」と「三」の間の「関係論」について、感動を持って語っていくことができる筈です。
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